「祈り」と「心配」

私たちの心の中には、自分が大切だと思っている人やモノを守りたいという根本的欲求がありますね。これは、動物的な本能と言ってもいいと思います。

カンガルーのお母さんが、我が子を自分のお腹についている袋の中にかくまって守るのもそうですし、幼い子を守るために外敵と命がけで戦う動物は沢山います。

けれども、人間である我々はそうした動物的な防衛本能だけではなく、心理的にも守ろうとします。どの親だろうと、我が子に幸せな人生を生きて欲しいと願うのはそのためです。

こうした気持ちは、「祈り」と呼んでもいいかもしれません。「祈り」には、否定的なエネルギーがありません。なぜなら、「祈り」の原動力は愛だからです。

ところが同じ守る気持ちであっても、「大切な人に苦しんで欲しくない」となると、実は「祈り」とはまったく違う心理状態となってしまうのです。

つまり、大切な人を守りたいという気持ちには二種類あるということです。愛による「祈り」と、恐怖による「心配」です。でも、往々にして私たちはこの二つを混同してしまうのです。

実際、この二つはいつも非常に紛らわしいので、気が付くと心配している気持ちを祈りによって払拭しようとしてしまうこともあるのです。。

たとえば、家族が病気にならないようにとか、子供が試験に落ちないようにと祈るなど。これは、まさしく祈りと心配をごちゃ混ぜにした結果なのです。

繰り返しますが、「祈り」には恐怖というネガティブなエネルギーが入る余地はありません。それは不安とか心配とは無縁のものです。

大切な人のことを心の中で想うときには、ただ「祈り」に意識を向ければいいのです。それが、純粋な愛なのですから。心配は、自分の心の中にある恐怖や不安を大切な人に投影した結果なのです。

祈りも心配も、そのまま大切な人へと必ず届きます。あなたはどちらを本当に届けたいですか?