自分を解放するのではなく、自分から解放されること

多くのセラピストが、私も含めて「自分を解放することです!」とクライアントさんに伝えてきたのでしょうね。抑圧された心を解放して、もっと素直で楽な人生があることに気づきましょうということです。

勿論、ある面ではこうしたことは間違ってはいません。あまりにも、不自由な生き方をしてこられたクライアントさんには、そのようにして理不尽な自己否定や無理な重荷から解放されるようにと促します。

けれども、こうした癒しは敢えて表現すれば、初期の癒しのことを言っているのです。もっと本質的な癒しというのは、自己を解放するということではありません。

なぜなら、私たちが自己だと認識しているものは自我であり、自我を解放するなどということは原理的に不可能なことだからです。

自我は、本来自己を抑圧するようにできているのですから。真の癒しとは、自我の解放ではなく、自我から解放されることなのです。

自我から解放されるということは、自我を敵対視して自我を叩きのめすことによって、それから解放されるということでもありません。

相手が何であれ、それを敵対視するのは、自我の専売特許です。自我から解放されるためには、方法はたった一つしかありません。

それは、自我が真実ではないということを見抜くことです。ところが自我には、凄まじいほどのリアリティがありますね。自分という個人はここにいるということを、なかなか疑うことは難しいのです。

自我の包囲網をかいくぐり、真実へと近づくためには、どこまでも自分に正直になることしかありません。そのためには、自分にとって事実だと思ってきたことをすべて疑ってみることです。

そうすると、事実だとしていたあらゆることが、すべて信じていたことだと気づきます。結局、自我とは決して敵なのではなく、単なる思考だったと気づくことになるのです。

自我も含めて、この世界のすべてを思考だと見破るとき、自我を否定することなくおのずと自我から解放された視点に戻ることができるのです。

そうやって、自分(自我)から解放された自己の本質が、それ自体に気づくことになるのです。それこそが、究極の癒しであり、本当の救いなのです。