頑張るための原動力

私たちは概ね、努力すること、弱音を吐かずに頑張ることが、この世界ではすばらしいことだと教え込まれてきましたね。表面ではそんなことないと否定していても、誰もの心の奥ではそれを肯定しているのです。

自己防衛がまだしっかりできていない幼いころに教え込まれたことは、いい悪いを別にして心の中に知らず知らずのうちに入り込んでしまうのです。

けれども、本当のところ、努力したり頑張ることを支えている原動力には、大きく二種類があることを知る必要があるのです。表面的には同じでも、どちらの原動力を使っているかで、両者は決定的に異なるからです。

一つは、愛が原動力の場合です。たとえば、ピアノであの曲を弾けるようになりたいという純粋な探求心で努力してピアノの練習に励むのであれば、それは愛が原動力なのです。

その場合には、身体がいくらしんどくても、なかなか思うように上達しないとしても、練習すること自体が悦びとなるために、継続して努力できるし、心が疲れるということはありません。

一方、あの曲が弾けるようになったら、さぞカッコいいだろうなとか、弾けるようになった自分をみんなに披露したいという思いが強いのであれば、それは恐れ(自己防衛)が原動力なのです。

つまり、私たちの行動の原動力は、愛か恐怖しかありません。愛は、純粋な興味や好奇心、あるいは探求心などと表現されることが多いかもしれません。

恐怖は、自分の存在意義を高めようとする気持ち、つまり不安を安心に変えようとする自己防衛がその素顔であるということに気づけばいいのです。

もしもあなたが、自分は飽きっぽくて、努力が続かないので困っているというのであれば、それは恐怖が原動力で努力しようとしているからだと理解してください。

また、自分がいつも頑張っているのに、何だか心が満たされたことがないというのであれば、それもやはり恐怖が原動力であるからなのです。

愛が原動力である場合に限り、本人の自覚がなくても頑張り続けることができるのです。それは、もしかしたら努力という言葉とは違うイメージに感じるかもしれませんね。