他人の評価はあてにならない

私たち人間とそれ以外の動物との一番大きな違いは、人間だけが他人の視点から見た自分の姿をイメージすることができるということです。

勿論実際に、他人の視点に立つことはできませんので、あくまでも想像することができるということですが、それこそが自我の始まりなのです。

自我はいつもそうやって、自分は他人からどう見られているのかということを気にして生きています。なぜなら、それだけが自分像というものの根拠になるからです。

他人の視点を想像することなしには、自分像をこしらえることもできないのですから。けれども、ここで忘れてはならないことは、イメージは事実ではないということです。

自分とはこういう人物だというイメージは、実際に他人が評価する自分という人物とは違うかもしれません。だからこそ、時々あなたって○○な人だよね、と言われて自分が抱えていた自分像との違いにびっくりすることもあるのです。

残念ながら、どれほど努力をしても、私たちは誰もが他人が自分をどう見ているのかということを、正確に知ることは不可能なことなのです。

さらに付け加えると、ある人があなたという人物をどう評価しているかというのは、実はあなたの実態というよりも、その人の心の中身によって投影されたものであるということに気づくことです。

だから、あなたを好きになってくれる人がいれば、好ましく思ってない人だっていて当然なのです。誰も、本当のあなたを真に知ることはできないのですから。

それならば、もう他人の目を気にするのはいい加減にやめようではないですか!あなたがどんな人であれ、どういう生き方をしようと、他人は自分に都合のいいようにしか評価をしないのです。

他人からの評価を心の支えにするなど、もっての他としか言いようがありませんね。あなたは、いつだってあなたらしくしていればいいのです。それが無防備、つまり愛への道なのです。