私たち人類は、その歴史を見れば明らかなように、常に争いに明け暮れてきたのです。戦争は良くないと知りつつも、問題を解決するためにも戦いは必要悪だとする根深い思いを持っているのです。
侵略されたら侵略し返す。正義の元では、戦いもやむを得ないことだと正当化してきました。そして、いずれはすべての戦いに終止符が打たれるはずだと信じているのです。
その先には、いわゆるユートピア、つまり理想郷が待っていると信じたいのですね。誰もが他人を憎まず、互いが助け合い、理解しあって平和に生きていくことができるはずと願っているのです。
けれども、本当のところはどうでしょうか?人類が進化したのは確かですが、それは文明の発展や科学の発達などによって、近代化が進んだだけで、個人としての私たちに大きな変化はないような気がします。
私たちの理性には、理想を求める能力が備わっていますが、個人としての私たちそのものが理想を実現することができるわけではありません。
個人という自覚、つまり自我は必ず自己防衛せずにはいられないのです。それは、自分と外界の世界との対立を発生させることになるのです。
そういう意味では、自我は決して真の平和を望んではいません。自分に都合のいい平和だけを望んでいるのですから、それは結果として戦いへと繋がっていくことになるのです。
私たちは、理想を追い求める一方で、常に不完全な個人として生きているということを忘れてはなりません。そして、大切なことはその不完全さを受容することです。
不完全を完全へと改善しようとすることをいくら続けていったところで、自我が完全になどなることは不可能なことなのですから。
不完全であることを心の底から受け入れるとき、その瞬間にだけ完全であるという奥深い気づきがやってくるのです。その気づきこそが、本当の救いなのです。