愛について その2

私たちがわかる範囲の愛というものについて、その輪郭、その属性などについて書いてみたいと思います。そうすれば、なぜ愛を与える日々を過ごすことによってのみ幸せになれるのかが分かってくると思います。

純粋な愛は愛そのものにしか反応しません。つまり、自分が愛の心で居る限り、相手のことも愛の塊であると感じることができるのです。逆に、愛は愛以外のもの、例えば、怖れ、怒り、憎しみ、絶望、苦悩、そういったものに無反応です。

愛は自分のことも人のことも裁きません。愛にとって、罪は無意味だからです。つまり、愛は誰のどんな言動に対しても、それを赦さないということはありません。愛は人間が作ったあらゆる常識やルール、枠組みに当てはめることはできません。

愛は攻撃することもありませんし、愛は何も欲しがりません。ただただ与えることのみです。愛は、比較することをしません。愛は、特定の人だけに向けることはできないのです。自分の家族、恋人、大切な人、そういった人にだけ愛を与えるということはできません。

愛があるところには、怖れや怒りは存在することはできません。だから、逆に自分の心が何かを怖れていたり、怒りを感じるときには愛が欠乏しているということになります。

愛は自分を守ろうとするエゴの防衛システムとは意思の疎通ができません。互いに相手を認識することができないのです。エゴの方はもしかしたら愛を知っていて知らないふりをしているだけかもしれませんが。

愛は愛以外のものに同調することはできません。ですから、例えば可愛そうな事とか、悲惨な出来事とかに対しても殊更愛を使って何とかしようとはしません。愛はいつも永続的な心の平安と共にあります。

こうして見ていくと、自分の心の中に愛があるとは思えなくなってくるかもしれませんね。なぜなら、現実とはかなりかけ離れているように感じるからです。でも私たちが理解する範囲の純粋な愛とはこのようなものなのです。

そして誰の心の中にも愛が充満しています。ただ私たちはエゴのシステムに組み敷かれてしまっているために、この愛を使えない状態にさせられているだけなのです。

心を静かにして、そういう愛の部分が自分の中にあるのを感じてみて下さい。うっすらとでもいいですから、必ず何かを感じるはずです。その部分をこれからできるだけ活性化させて生きていく必要があるのです。