自分の本当の姿 その5

更に続きです。

錯覚の中で分離して個別の存在となった自分は、自分は悪くないという表面的な安心感を得ることと引き換えに、大変な重荷を背負うことになってしまったのです。

外側にいると思われる危険な相手から自分の身を守り続けなければならないという重荷です。形は戦国時代とは違うように見えるものの、心理的にはまったく同じだと言ってもいいのです。

身体の危険よりも心理的な危険が自分の周囲には沢山あるからです。身体があると錯覚することによって、心も傷つくと思うようになってしまったのが原因です。

だからこそ、この世界はいつまでたってもどこかで戦争があり、平和のように見えるところでも実は単なる休戦状態でしかないのです。

いつもどこかで誰かが互いに怒りによって攻撃しあっているこの世界に幸せがあるとはとても思えません。あるのは、ほんのひとときの安堵だけです。そしてそれもいつまでも続くわけではないのです。

自分が分離したいという目的を、幻想の中で知覚を作り出すことで実現してしまったばっかりに、今度はここが地獄だからといって簡単に逃げ出すことができなくなってしまいました。

元々のスピリットである本当の自分を思い出すためには、どうしたらいいのでしょうか?それは初めの願望であった分離を手放して一体化の方へ向かうしかありません。

そのためには、自分と相手の間にある時間的空間的な隔たりを埋めていく必要があるのです。その隔たりには実は、罪という想念が使われています。罪深い相手を自分から離しておきたいからですね。

従って、この罪をなきものにすることで、互いの隔たりは消滅していくことになります。罪をなかったものにするのには、赦しを実践することが必要なのです。それも初めから罪などなかったとする赦しの方法です。

それを進めていくことで、次第に相手を攻撃することができなくなってきます。攻撃することは錯覚の中だけで可能だったのだと気づくからです。そうして、相手との距離が近づいていくにつれて、心の平安が増えてくるでしょう。

そうして、相手に全く罪のない姿を見ることができたら、二人の間の隔たりはなくなるはずなのです。そうすると、分離を維持するために使われていた知覚そのものが必要なくなってくるはずですね。

そのあとは、それこそ神のみぞ知るです。神の領域はさておいても、自分ができることをただ進めていくことで、きっとこの世界は地獄ではなくて、愛に満ちた穏やかな平安な世界に変貌していくのでしょうね。