英語嫌い

22年間の会社員生活のうち、約16年くらいを外資系の会社にいました。そのおかげで、技術的な資料やマニュアルも英語、本社の人とのミーティングも英語、ということで随分と苦労をしました。

それなりに、英語学校へ通ったりもしたのですが才能がないのか結局ものにならずに、そのまま会社員を辞めて今の仕事に転職してしまいました。

この仕事になってから、もうこれで英語とはおさらばだ、ああよかったと思って8年くらいたった去年、「A Course In Miracles(奇跡のコース)」と出会ってしまいました。

残念なことに、日本語への翻訳がされていないこの本をどうしても読みたいと思ってネットで調べてる時に、個人で翻訳された方がいらっしゃることを知りました。

これぞ神の助け!と思ってさっそく情報をゲットして読み始めたのですが、元々の内容がそんなに簡単ではない上に、言い回しも少し特殊な面があったりして、結局日本語で分からないところは英語の原文をつき合わせて見る必要が出てきてしまいました。

翻訳された方がかなり有能な方なのでしょう、場所によってはかなり意訳されているようで、原文を読んでみると日本語で読んだ時に自分が受け取っていたニュアンスとは違うと思うことが結構あることに気がつきました。

これは英文を読まないわけにはいかないと思うようになって、何だ結局また英語に苦しむ人生に戻ってしまったのかと、最近つくづく思うようになりました。

思い返せば中学1年生の時から英語を勉強してきたはずなのに、全く進歩をしないでいるというのも、考えてみれば驚異的なことです。

その理由を自分なりに分析してみたのですが、どうも人との対立が上達を妨害しているのではないかと感じるのです。

エゴは自分を守るために、人との間に分離を発生させて、それを維持するために対立状態を形成しています。右手で相手と握手しながら、後ろに回した左手でナイフを握り締めているのが私たちです。

その対立が強すぎると、相手の言語を覚えようと言う意欲が少なくなるのではないかと思うのです。母国語の場合は、まだエゴが成長する以前に言葉を習得してしまうので、問題がないのでしょうね。

だとすると、癒しを進めていくことで、人との対立をもっともっと手放していくことによって英語への拒絶感が少なくなってくれば、今後英語の上達が望めるのかもしれないとも感じています。

ただ、コースでは言葉には意味がないということも言われているため、微妙なところですね。