自分のすることは、全て自分自身にしている その2

昨日の続きですが、この「自分のすることは、全て自分自身にしていることになる。」を本当に理解できたら、先日のブログ『愛について』でお伝えした、「愛を与えることが、愛を受け取ることになる」の意味が分かるはずですね。

私たちはずっと愛されたいと望んで生きてきました。催眠療法などで幼い頃を思い出しては、自分の両親から充分に愛されなかったとして、だから自分には愛がそもそも足りないんだと思うのです。

それは確かにご尤もなことなのですが、大人になった自分が気づかなければならないのは、愛が欲しいといくら叫んでも愛を受け取ることはできないということです。

愛されるためには、つまり愛を受け取るためには、自分が愛する、愛を与えることが必要なのです。愛が足りないといつも不平不満を抱いている人は、絶えず愛を欲する万年受身の状態で生きているのです。

だから、愛を受け取ることには決してならないのです。相手を裁けば、自分が裁かれるし、相手を攻撃すれば自分が攻撃されるのです。人を傷つければ自分が傷つくことになります。

相手を否定すれば、自分が否定されるし、相手を罵倒すれば自分が罵倒されるのです。相手を憎めば自分が憎まれるし、相手を見下せば自分が見下されるのです。

逆に相手を慈しむ心があれば、人から慈しみの心で迎えられるし、相手を尊重すれば自分が尊重されることになります。愛をもって相手に向えば、愛をもって相手から受け止めてもらえます。

なるほど、そうかと思っても、私たちは人から怒りをぶつけられてしまうと、つい怒りで対応してしまいますね。そんな時に、冷静さと取り戻してこの法則を思い出すことができたら人生はすばらしいものになるはずです。