感情は選択できる その2

私たちは感情そのものをコントロールすることはできませんが、感情の発生をコントロール、あるいは選択することはできるのです。

例えば、人に何かいやな事を言われて、ムカッとすることはよくあることですが、それも実はムカッとこないような選択をすることが可能なのです。

勿論どんな場合でも可能かと言われると、とても難しい場面も多々あるかもしれませんね。でも完全なものを求めずに、できる範囲でも実現したら相当に心を平穏に保つことができるようになります。

それには、まず怒りの発生する心理的メカニズムを簡単に理解しておく必要があります。怒りは恐怖と同じように、自分が危険に晒されていると知覚したときに発生する感情です。

危険を知覚したあと、自分の身を守ろうとする自己防衛が働き、その際に逃げることで身を守ろうとする時に使う感情が恐怖であり、自分の力で相手を攻撃することで防衛しようとする時に使う感情が怒りですね。

つまり怒りの感情が発生するためには、まず危険を知覚する、次に防衛するために必要となる感情の中から怒りを選択する、という二つの工程があるわけです。

このどちらか、あるいは両方をカットしてしまうことによって、怒りを発生させないという選択をすることができるのです。

まず、第一工程である、危険を知覚する部分ですが、ここではどんな種類の危険なのかを調べてみます。そうすると、肉体的な危険と心理的な危険とがあることが分かります。ライオンに襲われそうになったら明らかに肉体的な危機ですね。

ただ、こういった場合には怒りよりも怖れが発生する可能性の方が大きいでしょう。一方の心理的な危険ですが、これは以前もお話ししたように、身体と心を混同していることから起きるものです。

いわゆる、心を傷つけられると感じる危険ですね。もしも、ここで自分の心が傷つけられるということはないのだということがはっきり分かれば、第二工程へ進むことがなくなります。

そして、仮に第一工程ではどうしても知覚したことを危険だという解釈をしてしまった場合には、その結果が第二工程に持っていかれます。ここでも選択が可能です。

この工程で放っておくと、必ず防衛のための何らかの感情が選択されてしまいます。
怒りだけの場合もあるし、恐怖だけの場合もあるでしょうし、両方が選択されてしまうこともあります。そうなると、怒りは恐怖によって抑えられて、心の奥に蓄積されます。

しかし、危険は危険だと決定したのだけれど、本当に防衛することが必要なレベルなのかどうか、もし防衛せずともやっていけるという選択をすれば、怒りを発生させないで済むのです。

こういった心の選択ができるということをいつでも忘れずにいることが大切ですし、もしもリアルタイムでうまく危険ではないという解釈、そして防衛するまでもないという選択をすることができれば、怒りの発生は未然に防げるのです。

それと、もう一つ怒りを発生させない方法があります。これは、先日のブログでも書きました、我々は自分が望む知覚を作り出しているということを思い出して下さい。

端的に言ってしまうと、自覚はないものの、自分が怒りたいので危険を感じるような知覚を自分で作り出しているということです。

ですから本当の危険というものは実はないということですね。ある理由のために、自分が相手を怒りによって攻撃する目的で、それに見合った危険を感知するような知覚を発生させているわけですから。

このことを充分に味わって心の底から納得できれば、ばかばかしくて怒りを発生させるようなことはなくなってしまうということです。

怒りを選択しないという生き方は人生を大きく変化させます。どんな怒りも正当なものは一つもないということを覚えておいて下さい。

そして、怒りを選ばずに平安な心で生きていくための心の訓練を今日からでも実践していきましょう。