自分の本当の姿 その3

またまた続きです。

私たちは、自分の外側の世界というものがあって、そこに物体があるとして、それに光が当たって、その反射した光が肉体の目の網膜に入り、視覚情報としてそれが脳に伝わって、そこに物体があると認識するというように考えています。

その知覚についての常識を一旦白紙に戻しましょう。そして、次のように考えてみるのです。肉体も、その肉体の一部である知覚も、すべて自分の想念が作り出したものであって、その知覚を使って自分の外側に自分とは違う何かがあると思わされてるだけだと。

つまり知覚(五感)による感覚そのものも自分が作り出しているものであって、それを我々は信じてしまっているということです。自分の心の奥の想念が見たいもの、聞きたいもの、触れたいもの、そういったものを身体を使った知覚として発生させて、それによって、身体の外部にこの世界があたかもあるように見せかけているということです。

これが、実はこのブログで何回も出てきた投影というものです。投影というのはその言葉どおり、心の奥の思いを知覚を使ってあたかも外側に存在するかのように、まるで映写機のように投影しているということです。

常識では、この宇宙の中に地球があって、それは自分がここにいてもいなくてもずっと存在していて、そこに赤ちゃんとして生まれてきて、生きて、そして死んでいくのが自分の姿です。

しかし、この新たな想定ではそういったことがすべて否定されてしまいます。深刻に考える必要はまったくないのですが、この想定を科学的に否定することはできないはずです。

そうすると、こういう想定をしたとすると、自分という存在は一体何者なんだろう、という疑問が果てしなく浮かんできます。すべてがひっくり返ってしまい、今までの常識は全く使えなくなりますね。

一つの結論としては、自分とは思い、想念そのものであるということが言えると思います。つまり、それがスピリットということです。肉体は作り物だし、この世界も同じように自分の想念による作り物であるということになります。

この結論が自分の幸せとどう関連するかを考える必要があります。