永遠について

花の命は短くて…

昨日今日で一気に桜の花が散り出しました。今年は咲き始めた頃に急に寒さが戻ってしまったせいで、満開になるのが一週間くらい遅くなってしまいましたね。そしてやっと咲いたかと思ったらもう桜吹雪になってしまいました。

人はそういった、はかないものに特別の感慨を持つものです。桜が一年中咲いていたら、それはそれで確かにきれいだとは思うかもしれませんが、これほどまでにもてはやされることもないはずです。

仏教用語か何かに、諸行無常というのがありますね。この世界のありとあらゆるものは、変化して一定であることはない、という教えです。そんなことは改めて言われなくても誰しも当たり前のこととして理解しています。

でもそのことをなぜなんだろうと考えることはあまりないと思いませんか?なぜ、不変のものはあり得ないのだろうかと。この広大な宇宙さえも、大昔にビッグバンが起きて誕生して膨張し続けていると言われています。

私たち自身も生まれるという変化から、成長という変化を経て、死という変化を遂げることから逃れることができないと思い知らされています。

私たちは変化を好む傾向と、変化を好まない傾向との両方を同時に持っていると思います。そのどちらも愛がベースというよりも、怖れや不安が原動力となっているのです。

変化を好まない傾向としては、誰しも死を怖れるわけですから、永遠の命というものを欲しています。老いていくことを怖れて、永遠に年をとらない若い身体でいたいとも思うし、別れることを怖れて大好きな人とは永遠に一緒にいたいと思うわけです。

一方で、変化を好む傾向としては、花の命は短いからこそ、貴重だとしてそれを好むし、野球の試合がずっと0対0で何の動きもないようだと見ていても飽きてしまうでしょう。それよりは、変化に富んだエキサイティングなゲーム内容の方が楽しむことができると思っています。

この変化を好む傾向というのを探っていくと、どうも退屈しないで済むとか、我を忘れて楽しむことができるなどのイメージが出てきます。変化がないとマンネリ化するということも知っています。

つまり、この変化を好む気持ちは、満たされない心、何かを渇望している欠乏感のようなものが原動力であるように思えてきます。ということはそこには愛はないですね。

つづく