自分のすることは、全て自分自身にしている

よく、イジワルすると巡り巡って自分に戻ってくるなどと言うことがありますね。人に親切にするといずれ何かの形でそれが自分に戻ってくるというのも同じです。いい事も悪いこともそうやって、人に対してした行動は必ず自分にその報いがやってくるということです。

そういうことをカルマの法則のような言葉で表現する場合もあるかもしれません。因果応報という意味ですね。

「奇跡のコース」では、「自分のすることは、全て自分自身にしている。」というもっと直接的な表現で述べられています。そして、この言葉の本当の意味は、カルマの法則や因果応報などとは全く違うのです。

カルマの法則では、悪いことをしたら、その罰が必ずやってくるということになっています。しかし、コースでは罪もなければ罰もないということが前提です。ではなぜ、自分がすることは、全て自分自身にしていることになる、などと言うのでしょうか?

ここでも例の投影のことを思い出して下さい。(ここで言う投影とは、心理学などで使う一般的な意味での投影とは違いますので、詳細は少し前のブログを参照して下さい。)

自分の内面を外側に映し出したものがこの世界だということでした。だから、あなたの周りにAさん、Bさん、Cさんがいるとしたら、それは自分の内面の奥底にそれぞれに対応するようななんらかの部分を持っているということです。

別の言葉で言うと、他人とは自分の潜在意識なのだということになります。私たちは物心が付いた時から、自分と他人とは別の存在だということを無意識的に叩き込まれて生活してきています。

ですから、わけあって、自分が相手を攻撃すると、相手は傷つき、自分は傷つかないと思っていますし、その反対も当然のこととしてあると信じています。しかし、本当は、自分が右のこぶしで相手の頬をなぐったら、同時に相手のこぶしが自分の頬をなぐることになるのです。

なぜなら、相手は自分の潜在意識、自分の内面の一部だからです。愛はそのことをはっきり理解しています。相手と自分は別の存在だと自分に教えてきたのは他でもないエゴなのです。私たちはそれを信じることでその教えに力を与えてしまいました。

幼いチンパンジーに初めて鏡を見せてやると、びっくりして鏡の中の自分を別のチンパンジーだと勘違いして、攻撃を始めます。すると、相手もまったく同じように自分を威嚇してきますので、更に怒ってもっともっと攻撃しようとしてしまいます。

私たちが日頃やっていることもこれと全く同じなのです。人類が戦争をやめないのも、殺し合いを続けてしまうのも全部このチンパンジーと全く同じだということをしっかり分かる必要があります。

聖霊は勿論、このことを充分に把握していますので、聖霊に従って生きることができれば、争いはなくなります。

与えるものを受け取る。 これも言葉を変えただけで、言わんとすることは同じですね。
相手を攻撃すれば、自分が傷つき苦悩するし、その人を赦せば自分が救われるということです。