感情という特効薬

 よく「人間は感情の動物である」などと言われることがありますが、犬や猫などの動物にも感情はあるのになぜわざわざそんな言い方をするのでしょうか?理性をもって社会生活を営んでいくのが、他の動物にはない人間だけの特徴であるにもかかわらず、時として強い感情が頭をもたげてくると、人は自分のコントロールができなくなることがあります。こういったことから、人間だって所詮は感情で生きてる動物と同じなんだということを言おうとしているのかもしれません。

 この場合の表現には、感情に負けてしまう弱い人間というニュアンスが何となく含まれているような気がします。私たちは子どもの時から、感情をそのまま表現することはあまりいいことではないという教えを受けて育ってきます。それははっきりとしたものであれ、漠然としたものであれ、親や社会全体から受け取りながら大人へと成長していきます。たくましく育って欲しいという思いで、転んで泣いている子どもに向かって、男の子は泣いてはいけないと言う親もいるでしょう。兄弟げんかをするなといって、怒りの表現を止めようとする親もいます。悲しいことがあっても、そんなことは早く忘れてしまいなさいと親は言うかもしれません。親は子どもがにこにこ穏やかな状態でいてくれることを望んでいるものです。

 しかしそれは幼い子どもにとっては感情表現の否定に繋がるのです。少し成長して集団生活の中に入るようになると、全体の秩序を乱さないようにするべきという社会の常識によって、素のままの感情表現は更に抑圧されていき、次第に人前での感情表現は恥ずかしいものという烙印を押されるようになります。感情が上がってこなければ、いつでも自分は冷静でいられることができるという思いから、感情なんて邪魔なものだし、いっそのことなくなってしまえばいいのにと思う人もいるかもしれません。

 では一体なぜ感情というものはあるのでしょうか?感情は人の理性を奪い、翻弄させ、苦しめるためにあるのでしょうか?実はその逆なのです。感情の存在理由は、何らかの要因によって正常な精神状態ではなくなった心を、元通りにするためなのです。しかも、どんな精神状態になったとしても、その都度最適な効果を発揮するように、最善の種類の感情という特効薬が処方されるのです。そのように自動的に調整されるように人間の身体はできているのです。何とすばらしいことでしょう。

 感情は、冷静で穏やかないい精神状態に戻すために、自分自身で自分に処方する最高の薬ですので、処方されたときにそれを使わないと全く意味がありません。では感情という薬を使うにはどうしたらいいのでしょうか?それは充分にその感情を味わうということなのです。味わうことでしか、感情という薬を使うことはできません。感情は病院でもらう薬のように形があったり見たり触ったりすることはできませんが、例えて言えば一種のパワーを持ったエネルギーのようなものなのです。アルコールランプで言えば、燃料であるアルコールのようなものです。火をつけて、燃やすことでアルコールは使われて消費していくうちに終いにはなくなります。

 感情も味わい尽くすことで、消費して、解けてなくなっていきます。そうすることで心が安定したいい状態に戻ることができます。それが感情という薬の本来の使い方、使い道なのです。恋人と別れて悲しいという感情が発生したときには、思い切りその悲しい感情を味わえばいいのです。それが元気を取り戻す最短コースなのですが、気晴らしなどをしてその悲しみをどこかに追いやって感じないようにしてやり過ごしてしまうと、その時はいいのですが、その後いつまでも失恋の痛手から抜けられない状態になってしまったりします。人に理不尽なことをされると普通は怒りの感情が出てきてくれるので、その怒りを充分に味わうことができれば、穏やかな心の状態に戻すことができるのですが、怒りの感情をぐっと堪えて忘れるようにしてしまうと、いつまでも相手のことを悔しい気持ちで思い出すようになってしまうかもしれません。

 このようにせっかくの感情という心の特効薬を作り出しておきながら、それを使わずに溜め込んできてしまうということをずっとやってきたかもしれないのです。子どものときにあまりにも自分の感情を抑えるような我慢の生活をし続けてきてしまうと、無意識に感情を感じないようにしてしまうため、味わおうとしても味わえない状態になってしまいます。こうなると、意識して感情を抑えている場合よりも、更に膨大な量の感情を溜め込んでしまいます。これが一番危険なのです。

 感情は使えば特効薬になるのですが、溜め込むとマイナスのパワーの塊となって、その人の人生を悪化させるようになってしまいます。溜め込んだ感情は味わって開放しない限り、死ぬまでずっと心の中に留まり続けます。そして、あまりにも感情を抑え続けていると、どこかで心の容量の限界を超えたときに、大噴火することになるのです。いつも怒りを抑える生活をしていると、何かのきっかでその怒りのエネルギーが噴出すると、俗に言うキレルという状態になってしまいます。本人はそのことを知っていたりするため、恐れから更に感情を抑えるように生きてしまい、悪循環に陥るようになります。

 また、沢山の感情を溜め込んでいると、その感情は何とかして味わってもらおうと開放される機会を日々狙っています。そのために、ちょっとした心の動揺があるとそれをきっかけにして、心の奥から喉元めがけて出てこようとします。だから本人は些細なことにも心が波うち、とても生きづらくなってしまいます。ちょっとしたことで激昂して、後でシュンとなって反省している人は沢山の怒りの感情を溜め込んできた人と言えるでしょう。人からの些細な言葉に心が乱れてすぐに落ち込んでしまったりするのも、否定的な感情を多く溜め込んでいるからなのです。

 催眠療法で過去に遡って、小さい自分の過去を再体験していただくのは、その時に充分に開放されなかった過去の感情を、現在の自分の肉体を使って味わうことで、しまいこまれていた特効薬を使うためなのです。もう済んでしまった過去のことをほじくり返しても仕方ないだろうとおっしゃる方もおられますが、過去の経験が問題なのではなく、溜め込んだ感情が問題なのです。感情というエネルギーに時間はないのです。5才の時に我慢して溜め込んだ感情は、その後何才になっても味わって開放しない限り、心の中に新鮮な状態で保存されているのです。

 特効薬である感情の種類にいいも悪いもありません。すぐに怒ってしまう自分を心の小さいやつだと思ったり、必要以上に嫉妬したり、人を妬んでしまう自分を嫌悪することもあるかもしれません。親に対する猛烈な怒りや恐怖の感情を密かに隠し持っている自分に罪悪感を感じてる人もいるかもしれません。しかし、そういったことは、今までに溜め込んできた感情が原因となっているだけですので、自分を責める必要はありません。どんな感情が発生したとしても、それは本人にとっての最高の心の薬ですから、いかなる感情も正当なものだということに気づく必要があります。

 人前での感情表現がはばかれる場合には、一人のときにしっかりとその日に上がってきた感情を味わってあげることがとても大切です。どんなに辛い感情でも、目をそらさずに味わい続けていれば必ずいつかは開放されて穏やかな心に戻してもらえるのです。感情を味わうことを怖れて我慢してマイナスのエネルギーに満たされた状態で生きていくか、出てきた感情をその都度よく味わって開放して、穏やかな心の状態で生きていくか、それは一人ひとりが決めることです。それによって、人生が気持ちのよい幸せなものにも、辛く苦しいものにもなるのです。