あれをもう一度、は執着

抵抗しない、判断しない、執着しない、この三つの「しない」を忘れないように生きることができたらいいなと思っています。

今日は、そのうちの執着しないについて。この数年、ほとんど毎日のように食べていたヨーグルトがあるのですが。

それは生まれてから初めて出会った味のヨーグルトで、酸っぱさが少なくて代わりにチーズの風味があるものでした。

毎日食べているのに一向に飽きることがなく、食べるたびになんて美味しいのだろうと感嘆するのです。

事務所の近くの小規模なスーパーで買っていたのに、突然売られなくなってしまい、今度は少し遠くのスーパーでまとめて購入するようになったのです。

それで難を逃れていたのですが、それが少し前から何の前触れもなく商品そのものが製造中止になってしまったのです。

この残念さ加減をどこにぶつけていいやら。製造元からはほぼそっくりのパッケージで別物のヨーグルトが販売されているのですが。

それこそ似て非なるものという表現がピッタリ。そんなもので代用できると思うなよ!と訴えたい気持ちがあるのです。

さあここで、自分の執着に気づくわけですね。そして、どんなものでもいずれは去っていく、それを受容することで執着は消えていくと。

過去のいかなるものへの執着も手離れしてくれると、とても生きやすい感じがしますね。そしてまた新たなものとの出会いが待っているのですから。

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自由には勇気がいる

子供の頃からずっと、自分の自由というものを大切に思ってきました。だから何らかの理由から、自由を奪われた感じがするととても嫌でした。

これは誰にとっても同じことですよね?その思いの強弱はあるかもしれませんが、不自由を強いられて嬉しい人はいないはずです。

ところが、この仕事を始めるまでの(いわゆる)午前の人生では、なかなかの不自由の中で暮らしていた自覚があるのです。

具体的には、辛いな、苦しいな、過負荷だよなと感じる仕事をしていたし、そのせいで自分の自由な時間を楽しむことからも遠ざかっていたからです。

その理由は諸々あるのでしょうけれど、例えば家族に不自由な生活をさせないためとか、他人から変な人と思われないためとか。

けれども、考えてみるとそれも全ては自分の自由な選択によるものだったなと思うのです。具体的に誰かに強いられたわけではないのです。

つまり、私たちは自由を求めている割に不自由を体験してしまうのですが、それは不自由を選択する自由さえ与えられているということです。

そのことに気付けたら、もしもあなたが今不自由に生きているとしても、それを誰かのせいにすることはできないということ。

あくまでも自らの自由意思によって、不自由な方を選んでいるということですね。自由を最優先したいのであれば、安心を求めない勇気が必要ということです。

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左脳には届かない

昨日のブログで、左脳というのは宇宙あるいは高次元からの大切な情報を受け取ることができないということを書きました。

自分で書いていて、正直言うとちょっとした衝撃を感じたのです。なんだそうだったのかと。それは酷いことだなとも。

必要な情報は、全て右脳に届くとも書きました。この不公平さ加減はどうしたものでしょうか?すごい勢で文句言っている奴がいます。

自我さんですね。自我は精一杯努力して自分の人生を少しでも良い方向へ持っていこうと頑張っているのに。

高次元からの情報からハブられて、自分一人の力で奮闘努力しているわけですが、そう考えると切ないです。

そして私のような素人からも右脳優位に変えていきましょうなんて分かったようなことを言われてるのですから。

自動思考などを駆使しないと存続が危ぶまれるということも分かってあげられる気がしてきましたね。

一方の右脳の方は、始終高次元からの情報を好きなだけもらっていて、しかも分離がないので毎日が天国状態。

ただし、左脳のど真ん中にいる自我には遠いので、その天国状態を自我は享受することができずにいるのです。残念!

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頭から抜け出してハートに落ちる

今日もまた osho の気持ちの良い言葉から始めましょう。

『頭を通り過ぎていく大量の思考。どうしてあなたが清明なままでいられよう?大量の雲。どうしてあなたが太陽を見ることができよう?
だが、あなたの内側には空間がある。清明さの泉が。それはあなたのハートだ。頭から抜けだして、ハートのなかに落ちなさい。すると突然、人は目覚めている。』

暗雲立ち込めた、薄暗い空をイメージすると、それがそのまま私たちが大量の思考に飲み込まれている状態をイメージできます。

それでは太陽を見ることができなくて当然です。ただし、太陽がなくなってしまうということではないことが救いです。

その太陽こそが、私たちの本質であり光です。空と違って私たちの暗雲は、頭の中を占拠し続けているのです。

その頭の中から逃れて、シーンとしたハートの中へと移動することができれば、そこには忘れていた太陽が輝いているということです。

その頭の中とは左脳のことであり、右脳がハートと直結しているのですね。高次元からの情報は、一旦心臓に届くそうです。

それが、反射して右脳へと届くというのを聞いたことがあります。どうやら、大切なことは左脳には届かないらしいです。

それなら、左脳の中に存在している自我としては何も分かっていなくて当然のことですよね。何も伝わってこないのですから。

そう考えるとちょっと左脳さんが可哀想に思えてきます。それはさておき、頭から抜け出して、ハートの中へと落ちることですね。

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全てはただやってくる

朝がやってくる、夜がやってくる、季節がやってくる、雲がやってくる、雨がやってくる、雪がやってくる、太陽がやってくる。

思考がやってくる、感情がやってくる、空腹がやってくる、満腹がやってくる、眠気がやってくる、退屈がやってくる。

あれ、この世界ってなんであれやってくるものばかりなのですね。やってきては去っていく、これしかないのです。

これまでずっと自分がやったと思っていたものはどうだろう?朝お弁当を作ることがやってくる、散歩がやってくる。

通勤がやってくる、仕事がやってくる、会話がやってくる、喧嘩がやってくる、努力がやってくる、達観がやってくる。

どれもこれも、やっぱりやってくるものばかりなのですね。全てを観照し続けているなら、こんな感覚になるのです。

この世界で、唯一自我の視点だけが自分がことを成すと感じているのです。でも、その自我は幻想でしかないのだから。

やはり、この世界はやってくるものばかりで成り立っているということ。この世の全てはただやってきては去っていく、これが真実なのですね。

意識はただそれを観照するのみ。

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風邪を断固として拒否する

一年に何度かやってくるのですが、風邪を引くというあの厄介な症状。ところが、ここ何年かは引き始めに対処することで、難を逃れているのです。

おやっと感じた瞬間に、すぐに愛用している漢方薬を服用するようにしているのです。それと、もう一つ大事なこと。

それは、絶対に風邪はいやだ!断固として断る!というのを心の中で強く念じるのです。実はこれが一番効いてるのかなと。

かつて会社員の頃などは、年中行事のように風邪をひくのが習慣になっていて、一度風邪をひくと1ヶ月以上にわたってしんどい症状が続くのです。

ところが、それほど風邪にやられまくっていたのに、それをどちらかというと放置していた気がするのです。

絶対に嫌だというのもなかったのです。ああ、風邪引いちゃうのかなとか、これはきっと風邪引くやつだとかって思っていただけ。

それと比べると、今の自分は本当に風邪に対する明確なNo!の意識が強くあるのが不思議なくらいなのです。

もしかすると、風邪を引くことで何らかのご利益を得ていたのかもしれないと疑うこともできます。要するに、疾病利得ですね。

仕事に出かけるのが辛いとか、何か嫌なことを続けていると、病気になることでそれを正当な理由にして逃れようとするわけです。

今思えば、身体に対して本当に申し訳ないことをしていたなと思えるのですが、その頃は気付けないものですね。

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嵐の最中の静けさ

私たちの内面の状態というのは、シンプルに表現すれば次の2種類となるのです。自分の本性を忘れて動揺している状態と、平安な本性に気づいている状態。

そのことを、osho は次のような言葉で表現してくれています。

『平安が私たちの本性だ。
深い不安のただなかでさえ、安らいでいる中心がある。
内側には、あらゆる嵐の最中にも、平安に眠っている人がいる。
この平和で、動揺のない安らかな部分が、私たちの本当の存在だ。
奇跡的なのは
その存在にもかかわらず、
私たちが落ち着きを失っているということだ。』

意識的であることとは、どのような状態であろうとも、安らいでいる中心を忘れずにいるということですね。

外界で何が起ころうと動揺してはいけないと言っているのではないのです。自我として生きている限り、どうしたって動揺はするのですから。

けれども、動揺して落ち着きを失ってしまったとしても、いかなる状態になっても動揺のない安らかな部分があることに気づいていればいいのです。

そしてそれは、練習次第で可能だし、熟達していくほどそれを忘れずにいられるようになるとも言えるのです。

私のバックグラウンドとして絶対的に存在し続けてくれているもの、純粋な意識としての自分の本性、これに気づいているだけでいいのです。

それは透明で大きさも形もなく、厳然としてあり続けています。その気づきが直接的な助けになるわけではないのですが、それを感じているうちに自我は自然と落ち着きを取り戻すことができるのですね。 

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受容は無思考

もしもあなたが、これは受け入れるがあれは受け入れないとしたら、どちらにせよ全く受け入れてなどいないということになるのです。

なぜなら、Aを受け入れるが、Bは拒絶するというのなら、AかBを選別していることになるからです。

受け入れるというのは、無条件であるということが前提としてあるのです。無条件でなければ、その受け入れは言葉だけになってしまいます。

なぜそれが受け入れるということにならないのかというと、受け入れるとは判断や評価などの思考を使わないことを指すからです。

受容とは無思考であるということですね。無思考なのですから、判断、評価、選択、裁きなどが一切ないということ。

だからこそ、受け入れるということが可能となるわけです。無思考というのは、賛成もないし、同意すらありません。

もちろん肯定すらありません。なぜなら、そうしたもの全てが思考によってできているからです。

受容はあくまでも無思考であるということを忘れないことですね。その上で、自分自身のことや他人のことを受け入れるという練習をしてみるのです。

それが、どれほど難しいと感じることか。それは、とにかく私たちは常に思考を使って生活をしているからです。

つまり、受け入れる練習をするということは、無思考、つまり瞑想状態を保つことにもつながるということですね。

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時間はあるが、時間の流れはない

私たちの左脳は、ものすごく優れていて時間の経過というものを感覚的に理解できるようにしているのです。

過去から未来へと流れる時間を、独自の方法によって体感させてくれるわけです。それなら、左脳が機能しなくなったらどうなるのか?

自分の体験では、左脳が停止した瞬間に、直感的に時間というものはないと分かったのです。もっと正確に表現すると、時間の流れというものはないということ。

右脳の感覚だけになった時に、そのように感じることになるということです。時間がないというのと、時間の流れがないというのとは決定的に違うのです。

時間というのは次元の一つの軸なので、時間がないと単純に言ってしまうと誤解を産む可能性があるかなと。

時間はあるのだけれど、時間の経過というものがないということ。もしも私たちの意識が高次元の方向へとシフトしたとします。

すると、時間という一つの次元軸上を好きなように移動できるようになるということ。これは、空間に対しても同じことが言えます。

高次元の存在が、空間を瞬間移動できるのはそういうことだし、同様にして時間上の瞬間移動も可能であるということです。

過去と未来がないということではなく、過去へも未来へも移動できてしまうということ。つまり高次元から見れば、過去現在未来は同時に存在するということですね。

我々の次元からすると想像をはるかに超えている状態であると言えますが、とても興味をそそられることでもありますね。

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こんな日もあるのか

昨夜瞑想しているときに、いつもの心地よさにプラスして、幼かった頃のあの無邪気な時の感覚がうっすらとやってきたのです。

ああ、こんな感覚100%で生きられたら、すごくいいのになあと思いながらもいつもの時間に眠りについたのです。

そして今朝、同じ感覚がやってこないかなと少しの期待を込めて瞑想したのですが、何もやってこないばかりか、気づくと眠ってしまう始末。

こんな日もあるのかな程度にして出かけたのですが、クルマで走り出した直後からトラブル続きでびっくり。

家の近所を抜け出るのにかなりの時間と労力を費やす羽目になりました。その後もスポーツクラブへ着くまでの道中も似たようなもの。

踏切ではいつもの何倍も待たされ、マナーの悪いクルマ、自転車、歩行者に翻弄されつつ、まあこんな日もあるかなと。

今日は、自分の気分をいい状態に保つ格好の練習日だと、心を入れ替えてみたりしたのですが、結局10分以上遅れて到着。

事務所で昼食をとってから、さて今日も動画でも撮ろうかなと思っていると、ややお腹の具合が悪くなって、撮影は断念。

もちろん、嬉しいこと楽しいこともあったのですが、それを付け足したとしても気分的にはどうにも上がらない日となってしまいました。

とはいえ、自分の気分をいい状態に保つという練習を忘れずにいることができたので、それでよしとしようと思えた1日でした。

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