瞑想とか坐禅と聞くと、なんとなく宗教的な響きを感じてしまって、それだけで抵抗があるという人も多いと思います。
私自身も、瞑想はまだいいのですが、坐禅と聞くと何やら真面目な気持ちで向き合わねばならない過酷なものというイメージがあります。
少しでも体を揺らしたりすると、棒のようなもので肩や背中を叩かれるというのを思い出したりして、あまり好きではありません。
そんな感じで、いずれにしても自分一人で瞑想をするときでも、できるだけ静かな場所で無念無想を目指す感じがしていたのです。
けれども、そんなことも思い込みに過ぎないし、単に囚われているだけだということに気づいてからは、かなり自由度が増しました。
今ではできるだけ邪魔にならないお気に入りの音楽をかけながら、体勢にも拘らないように瞑想するようになってしまっています。
それが功を奏したのか、ものすごくお気楽な気持ちで日々の瞑想を楽しめるようになったのです。瞑想という言葉もいらないくらい。
一つだけ困ったことがあるのですが、瞑想にちょうどいい音楽を探し求めて迷子になってしまったようで。
どこにもたどり着けない沼にハマり込んだようになってしまって、戻って来れずにグルグルしてしまっています。
これは本末転倒だなと思って、しばらく自重しようと思いっていますが、そのくらい自由に好きなように試してみればいいということですね。
そしてただそうした時間が増えていくことで、その感覚を日常的に体験することで忘れにくくなっていくのです。
これは、意識的であるというよりも、瞑想的に生きるということに近いかもしれません。瞑想的な時間を楽しむでもいいですね。是非是非お試しあれ。
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