個体の窮屈さから全体の広がりへと遷移する

左脳がわの感覚では、この自分というのは空間の中のごく小さな部分を占めている豆粒くらいの存在なのです。

それがちょこまかとあっちへいったりこっちへ来たりして、空間の中を動き回っているというイメージです。

けれども、一方の右脳がわの感覚では、空間そのものであるということです。他の言葉で表現すると、全体性ということになるのです。

この両者の違いは驚異的ですよね。で、どちらが気持ちいいかと言えばもちろん空間である方がいいに決まっています。

普段自我として生きているため、自分を空間として認識することには違和感を感じてしまうかもしれません。

私は催眠療法の誘導の際に、湯船に浸かっているクライアントさんの身体がゆっくりと広がっていくイメージをしてもらうのです。

そうやって、小さな個としての自分から広がりのある存在へと変遷してもらうのです。その気持ちよさを味わってもらうのです。

それと同じようなことを、普段からやってみて欲しいのです。個人としての自分から、ゆっくりと空間の中へと広がっていく。

そして果てしなく広がっていくことで、自然と全体性の感覚をも体得できるようになるのではないかと思っています。

ぜひ試してみてください。

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マインドの毒を身体に送るのをやめたい

45歳の時に大腸癌を患って入院手術をしたことがあるのですが、その時は日々のストレスで心身ともにやられていました。

頑張ってもできないような、自分の能力を超えた仕事を任されていたので、その重圧が大きかったのです。

また、自分がダメになってしまったら多くの人々に多大な迷惑をかけてしまうという、なかなかの負荷もありました。

その結果、私のマインドは言葉にできないようなマイナスの感情を作り、それを身体のある部分に蓄積したのでしょう。

それがS字結腸と呼ばれる大腸の左側の部分なのだと思います。そして、この部分への攻撃は今でも続けられています。

何らかの理由でマインドがダメージを負うと、マインドはすぐにネガティブな感情というエネルギーを作り出すのです。

そして、それをそのS字結腸のあたりに送るのです。だから、そこがいつも痛みを感じる部分となるのです。

自分の身体のことなのでよく分かるのですが、それにしても身体さんに対していつも辛い目に遭わしてしまい申し訳ないなと。

マインドの問題はマインド自身でしっかり対処すればいいだけなのに、昔からの習慣で身体に重圧をおわせてしまうのですね。

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誰でもない自分に気づく

今回の人生で初めてくらいなのですが、誰でもない自分に戻っている時間が長くなっているなと感じています。

私たちは自覚があろうがなかろうが、自分自身をこういう人物だという具合に作り込んで、それに成り切って生きているのです。

そのことに疑問を挟むこともないし、自分がこの自分であることを不思議に感じることもなく日々を過ごしているのです。

社会の中で存在するための自分、誰かに確認してもらうための自分として、自我はこの自分を作り込んだのです。

それを朝起きてから夜寝るまで連続させてしまうと、それ以外の本当の自分を取り戻すことができなくなってしまう。

けれども、一人でいる時間に心静かに目を閉じて、ゆったりと坐っているうちに、アレ自分て誰だろうとなるのです。

誰でもない、ただあるがままの自分がここにいるのです。それがどういうわけか、ある種の至福感に似ているのです。

自分というキャラクターになって人生ゲームを楽しむのもいいものですが、それが本当の自分と感じ違いするようになったらどうかなと。

自分が誰でもないことに気づきつつ、くつろいでいられる時間をぜひ作ってみてください。それで人生の趣きも変化するはずです。

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何であれ「当たり前」はない

身の回りに起きている様々なことの中で、それらが何でもないことのように思えているとしても、本当はそうではないのだと。

当たり前のように思えていたとしても、少し詳しく見てみればわかることですが、どんなことでも当たり前というのはないなと。

自分の時間を自由に使えるというだけでも、本当に有り難い。もしも国が戦時中だとしたら、自分や家族を守ることが最優先されるはず。

毎日毎日、誰に遠慮する必要もなく、一人静かに坐って思う存分何もしない時間を堪能することができる有り難さ。

もしも暑さ寒さや雨風を凌ぐ家がなかったら、穏やかな気持ちでいられる場所を毎日探し回らなければなりません。

あるいは、身体や心の具合が悪くて集中できなかったら、坐っていることすら難しくなってしまうはずです。

ご飯を作ったり掃除をしたりといった家事全般をやってもらえなければ、それなりの時間を割かねばなりません。

大きな心配事や、未来に対する不安などが邪魔をすれば、安心して瞑想することもままならなくなってしまうのです。

こうしたことの全てが与えられていることに、改めて感謝するしかないのです。そして感謝すればするほど、より深い瞑想ができるのもありがたいですね。

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女性にはやっぱりかなわない

仕事が終わって、事務所から少し離れたところに借りている駐車場への道を歩いている時、あまり見慣れない姿の人を見たのです。

それは若いお母さんで、双子の赤ちゃんの女の子を双子用の乳母車に乗せて、しかもその胸元には一歳くらいのお茶目な女の子。

さらに背中には二歳くらいの女の子を背負っているのです。おんぶされている一番年上の女の子はいたって静かにしているのです。

ところが、胸元にぶら下がっている次女と思われる女の子が、ものすごい至近距離にあるお母さんの顔に向かって無邪気に戯れているのです。

この状況では、たいていは若いお母さんは疲れた顔をしているはずで、さぞ大変だろうなと思ったのですが、それが全くそうではなく。

そのお母さんは淡々としていて、疲れた風情が全くなく、ごく普通に通りを歩いているのです。

向こうからやってくるその5人連れの姿に圧倒されて、みんながそれぞれに元気な顔をしているのに、やや感動しましたね。

自分には、あの中のたった一人の女の子の世話もできないなと思って、可笑しくなってしまいました。

あのお母さんには絶対にかなわない。女性は本当に逞しい。普段、偉そうなことを言っていても、いざとなったらあのお母さんの足元にも及ばない。

あの5人連れに、また会いたいなあと思うのです。

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人生はいつ何が起こるか分からない

私と同年代の世界的なギタリストである渡辺香津美さんが、脳の病気で倒れたというニュースを少し前に耳にしました。

彼は私の中では、非常に特別な存在であって、あまりに気に入った曲ともなると、もったいなくてあまり聞けないくらいなのです。

大好きなギターのフレーズなどは、コピーしようとしても勿論全く歯が立たないのですが、頭の中では同じように弾けるのです。

その天才ギタリストの彼が、なぜそんなことになってしまったのかと思う気持ちがありましたね。

状況はよく分からないのですが、奥様の意思で彼の耳元で彼自身のこれまでの楽曲をずっと聞かせ続けているのだとか。

意識がないように見えても、耳が聞こえていることが多いと言うことで、彼の意識にその音楽が働きかけてくれるのかもしれないと。

私の中では、何とか復活してもう一度彼が音楽活動を再開できるようになれたらいいなと思うのです。

けれどももう一方では、彼が苦しくないようにしてあげたいと言う気持ちがなんと言っても一番強いのも事実です。

全ては設定通りに推移するのでしょうけれど、見守りたいと思います。

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ホンモノは素晴らしい

人間て色々なことで泣くものですね。悲しかったり、寂しかったり、苦しかったり、辛かったり、悔しかったり。

あるいは、嬉しい時も泣くし、面白すぎるときも、そして感動している時にも涙は出てくるものです。

どんな涙であれ、私は好きですね。なぜかというと、それが本人にとって偽りがないと感じるからです。

それがどんな涙であれ、正真正銘の本人の正直な気持ちがそこにあるのなら、それを見てる側からすると、良いものだと感じるのです。

要するに、ホンモノというのは素晴らしいし、人を感動させる力を持っているということかもしれません。

であるなら、あなたがどんな理由で泣くにせよ、そこにウソがないのであれば堂々と泣けばいいのです。

その涙は、きっと誰かの心を揺さぶることになるからです。もちろん一人静かに涙するのもいいものです。

昨夜、何となく気分がよくないなあと思いながら、これを瞑想で変えられたらいいのにと思って、瞑想をしたのです。

すると、短時間のうちにちょっと深くて何とも気持ちのいい状態へと誘われたのです。それで、嬉しさと感動でちょっとの間一人泣いたのです。

もちろん、すぐにその波は引いて行きましたが。オヤジが一人で瞑想中に泣くのは気持ち悪いだけですけどね。 

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生き方を変えずに癒しが進むことはない

私たち人間は理性的に生きている割には、全く理屈に合わないようなことをやったり考えたりしているものです。

例えば、ある人が何らかの生きづらさを抱えていて困っているとします。それさえ何とかして治すことができたら、人生は一変するのにと。

ところがそのことと、自分のこれまでの生き方を関連づけてみることをしないのです。たまたまその問題を抱えることになったのだと。

けれども、冷静になって見直してみれば明らかなのですが、その生き方をずっと続けてきた結果として、今の問題があるのです。

自分が信じて疑わないその生き方を修正すれば、これまで抱えてきた問題、生きづらさはひとりでに改善するはずなのです。

結局、自分はこれまで通りに生きていきたいが、問題だけを修正して欲しい。これが多くの人々の本音な訳です。

ここまで読んで、自分はそんなアホじゃないと思った人も多いのではないかと思うのですが、でも実際大なり小なり同じことをやっているはずなのです。

癒しが遅々として進まないのは、これが原因と思って間違いありません。その逆も真なりです。

言われるがままに、生き方を変えることができたら、あっという間に癒しが進んで問題はすぐに解決してしまうのです。

それができないのは、ずっと続けてきた生き方、考え方それ自体を自分だと勘違いしているからなのです。

それを変えてしまったら、これまでの自分が消えてしまうと感じるのです。それは、死ぬことと同じで震えるほど怖いのですね。

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「信頼」に立ち帰るテクニック

自分の内面が、やってくる未来の不安や心配事でいっぱいになって、どうしようもなくなってしまうことは誰にでもあります。

そんな時に、一番必要なのは何だろうと考えてみたのですが、それはやはり「信頼」なのかもしれないですね。

実際、不安や心配にやられている時というのは、信頼が揺さぶられてしまっている、つまり目に見えないものを信頼できない状態になっているのです。

信頼が一番必要な時にそれが手に入らないという皮肉が起きるのです。だから、簡単には不安や心配がなくならないのです。

そしていつも言っているように、不安や心配は左脳(マインド)のものであり、信頼は右脳(ハート)のものです。

ということは、不安や心配に苛まれている時に、信頼が消えてしまうわけではないということに気づけます。

ただただ単純に、左脳(マインド)のエネルギーに引っ張られて、右脳(ハート)が見えなくなっているだけ。

だとしたら、少しじっくりと時間をかけて、左脳偏重を沈めるように自分に働きかけ、左右脳のバランスが取れるようにしてあげること。

そうなったら、不安や心配をなくすことを考える代わりに、右脳に隠れていた信頼の方へと意識を向ければいいのです。

そしてもしも、一度でもこれに成功することができたなら、その体験はそれ以降の人生を非常に生きやすくしてくれるでしょうね。

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肩の力を抜いて楽しんで生きる

最近自分の中で特に感じるのですが、自分が何かしていることがあるなら、それは概ねそれをすることになっていたんだなと。

何か特別に人よりも何倍も努力をしたとか、これだけはと思って頑張ってきたとかいうことがひとつもないのです。

だから、今までどんな人生を生きてきたかとか、今までに自分がやってきたことは私の自我の努力の賜物では決してないのです。

私の自我はそれを知っていて、どんなお手柄もないよ、としっかりと理解しているようです。人からどのように言われようとも。

例えば、2009年から始めたブログの記事が、計算すると365日×16年=5840投稿となって、確かにびっくりする数字。

けれども、全く努力も頑張りも額に汗してもないので、勝手に起きることが起きてきただけという感覚なのです。

瞑想にしても、今は特別ブームがやってきているからですが、毎日のべにすると数時間はやっています。

こんなの、努力でやっていたら決して続くものではないのです。ただ、やることになっていたから、やっているだけ。

誰にも自分を誇ることもできないし、自慢にも決してならないのですね。だから、今後も続けていくことになるのかどうかも不明です。

明日には辞めてしまうかもしれませんが、もしもそうなったとしても、それはそのように設定されていたということです。

つまり何が言いたいかというと、設定されていたことはどうしたって起きるし、そうでないものはいくら望んだところで起きることはないのです。

それなら、肩の力を抜いてリラックスしてのんびりと、ゆったりと毎日を面白がって楽しく生きればいいということですね。

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