4歳の男の子の言動に釘付け

この数年の間、あるご家族の微笑ましい動画を観て楽しんでいるのですが、主役は4歳になる男の子とおじいさん。

見るからに素晴らしいご家族に囲まれて、理想的な幼少期を過ごしているんだろうなと、ちょっと羨ましい気持ちも入りながら観ているのです。

先日は、ご家族全員でこどもの日に外食に行っている時の動画を観たのですが、あまりにおもしろくて何度も観てしまいました。

その男の子が、食べ物を取ってもらって「ありがとよ!」と言ったり、何かを食べて「これ、おいっすぃ!」を連発しているのです。

画面には現れないパパが、その言葉を聞いて誰の真似をしているんだろうと言うと、ママがきっとジイジかもねと。

それを聞いていたバアバは笑うんだけど、当のジイジは黙ったままで黙々と食事をしているのです。

なんとも微笑ましいご家族の食事場面。もしも可能なら、この先10年くらい動画を上げ続けてほしいものだなと。

その子がどんな中学生になるのか、是非見たいものだと思わざるを得ませんね。きっと社会に出てからも敵の少ない、自由な人生を生きていけるのかなと。

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マインド内の綱引きに要注意

私たちのマインドの中というのは、相反する方向へと引っ張ろうとするものどうしが、互いにせめぎ合っているのです。

気楽に生きたいと願っている反面、気がつくと深刻な心持ちになっていたりするものです。この真逆を誰もが経験するのです。

あるいは、できる限り自由でいたいと願っている反面、何かに対して執着する心がやってきて、自分の自由を台無しにするのです。

このようにして、一人のマインドの中で互いに綱引きをして、引っ張り合いをしてしまう部分がいくらでもあるのです。

こうしたことって、ある程度自分の内側に意識を向け続けていなければ、なかなか気づかないものなのです。

綱引きは側で見ている分には面白いものですが、それが自分のマインドの中で繰り広げられているとしたら大変です。

マインドは真逆の方向へと引き裂かれようとするのですから。小学生か中学生の頃の運動会で、父兄の綱引きがあったのです。

その時に、綱引きに参加している全員が一度に尻餅をついたのを見てびっくりしたことがあるのを思い出しました。

そう、綱がちょうど真ん中でぷつんと切れてしまったのです。もしもあなたのマインドで、こんなことが起きたらしばらくマインドは使い物にならなくなってしまうかもです。

そうならないためにも、できるだけ自分のマインドの中で何が起きているのかに気づいているようにすることですね。

マインドのどこを見ても、張り詰めたような緊張がないように気を配ってあげることです。

万が一綱引きを見つけてしまったら、一旦その戦いを保留にしましょう。そしてその休止状態の間に、じっくりと気持ちを立て直すことですね。

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今この瞬間と同期する

ずっと揺れているものがある。それが左右になのか、上下になのか、あるいは前後になのかは分からない。

その揺れが身体に起こっているものなのか、あるいはマインドに起こっているものなのかも分からない。

でもいつも揺れている。そして、その揺れをしっかりと感じられるのは、大抵が瞑想をしているとき。

それ以外は、ほとんど気づくこともなく生活しているらしい。今日も今日とて、その揺れが止まらずにいる。

その揺れによって、きっと今この瞬間にいることを難しくさせられているのだろうと感じる。揺れることで今と同期できずにいる。

それが、何の脈絡もなく何かの拍子にその揺れが一瞬止まることがある。もちろん瞑想中に限られるけれど。

その時、今この瞬間という深みに入って行くのだろうなと。その感覚に魅了されて、今日も瞑想するけど、そうそうやってくるわけでもない。

もしも熟達して、いつでもその揺れが止まり、今この瞬間という奇跡的な領域とずっと同期していられるようになれたら、嬉しいなと。

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予想+感情=期待→執着

自我というのは、とにかく現在にじっとしていることができなくて、いつも過去や未来へとフラフラしているのです。

特に未来へと思考を飛ばす時には、必ず何らかの予想を立てずにはいられないという習性を持っているのです。

それも単なる予想であれば問題ないのですが、そこへ感情を混入させることで予想から期待へと変化させてしまうのです。

一度期待へと変わってしまうと、その期待通りの未来がやってくるかどうかで、精神状態が大きく左右されることになるのです。

なぜなら、期待というのはそうなって欲しいという執着を生み出すものだからです。執着は人を苦しめる要因の一番手です。

執着は、私たちの自由で気持ちのいい毎日を台無しにしてしまいます。とある場所に固着させて、身動きが取れなくなるのです。

そんなことを自分自身で自分に対して課しているのです。そのことにしっかりと気づく必要があるということです。

朝起きてから夜寝るまでの間に、一体どれ程の期待をしているのかを一度しっかり見つめてみることです。

きっと100や200のオーダーではないはずですね。何気ない期待が知らぬ間に執着を生み、人生を不自由で気持ちよくないものへと変えてしまう。

このことを忘れないことですね。一番手っ取り早いのは、未来へと思考を飛ばさないように注意深く生きることですね。

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自分が消えてなくなることはない

私たちにとって最も恐ろしいと感じるのは、自分が消えてなくなることです。自分という存在が無くなってしまうことの恐怖。

この目に見える世界だけが本当の世界だと信じている人にとっては、文字通り死んだら全てがなくなると思うのですから、それは怖いです。

その一方で、肉体の死を迎えた時にどうなるのかなと想像すると、きっと順当に行けば個という間違った思考が正されていくのだろうなと。

そして、個は元々なかったということで全体性へと溶けていくのです。そうやって、自我は自然と消えていくことになるのです。

けれども、その時に自分が消えてしまうのは絶対にイヤだとなれば、自我を組み立てていた思考群がそのまま残るのかもしれません。

そうなると、私たちの意識そのものは無条件に全体性の中に戻っていくのですが、自我の思考だけが残るのです。

そして、残った自我という思考は、あたかもそこに個として残存しているかのように見えるのかもしれないですね。

それが、もしかすると成仏しないでいる霊と呼ばれる状態になるのかなと。浮遊霊とか、地縛霊とかと呼ばれるのも、そうしたものかも。

純粋な意識の立場からすれば、大元の意識へと戻るだけなので自分が消えるのとは、全く異なるように思いますが、どうでしょうね?

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知らないことは悪じゃない

外側の世界で生きていると、あれも知っているこれも知っていると、知っていることに重点がおかれるのです。

知らないよりも知っていることで、何かと有利に働くと思えるからかもしれないですね。頭のいい人は物知りだし。

けれども、一度内側の世界に入り込むと、あれ何も知らないじゃないということに気づくことになるのです。

そしてその何も知らないは本質的であり、そこには奥深さを感じるのですが、外側で知っていることは薄っぺらな感じがしてしまいます。

なぜなら知っていると思っている対象物は、そのすべてが偽物だからです。だから一過性だし、生まれては消えていく。

本当は、生まれてもいないし、だから消えていくということもないのです。初めから何もないのですから。

そのことに一度気づいてしまうと、知っていると思っていることもどうでもいいことだと分かるのですね。

一方の内側の世界で何も知らないは、この次元にいる限りは知る可能性もないということ。深遠なナゾがそこには広がっているのですね。

高次元へと戻る時が来たら、その時には多くのことが明かされることになるはず。それを楽しみにしておこうと思います。

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他人のエネルギーに当てられると…

今からもう20年くらい前のことですが、かなりセッションが立て込んでいた時期があったのです。

今ではもう考えられないことですが。そして、これも今では想像もできないのですが、あの頃はヒーリングのリクエストが多数ありました。

ひどい時になると、1日に4回もヒーリングセッションをやったこともあって、自分で言うのも何ですが、ヒーリングが大流行り。

そんなことが1〜2ヶ月も続いてしまうと、クライアントさんから出てきた様々なエネルギーを受けてしまうのです。

受けてもそれを流してしまえれば、全く問題はないのですが、あまりにも立て続けにやると、少しずつ溜まっていくエネルギーがそのうち私の体内に残存するようになるのです。

そうなると、お風呂に入っても長い時間の睡眠でも取れなくなってしまうのです。その結果、どういう感覚になるのか。

例えば、セッションルームから自宅まで自転車で帰る時に、空気の粘着性を感じるようになって、思うように進まない気がするのです。

身体は常に重いし、だるいし、やはり食欲も停滞気味になるのです。この二日間というもの、実はそれに似た感覚がやってきています。

もしかすると、アメリカ連邦税務局への電話でただ疲労しただけでなく、そこから大量のエネルギーが来てるのかもと。

世界中の人がその電話を通して、あらゆる苦悩のエネルギーを発信していて、それがこちらにも伝わってきてしまったのかもと。

いずれにしても、ただの勘ぐりでしかないし、自分の具合の悪さを誰かのせいにするのは好ましくはないので、このくらいにしておきますが。

でもこの身体の感覚は、あのときのアレに似てるんですよね。

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時間の進む方向は? その2

昨日のブログでは、時間の進む方向が逆かもしれないというお話しをしました。人から聞いた内容なので、イマイチ自信満々では言えないのです。

けれども、例えば季節の変化を思い浮かべれば、当然なのですが未来から夏がやってくると同時に、春が過去へと去っていく。

次に秋が未来からやってくると同時に、夏が過去へと過ぎ去っていくわけです。だから、季節は未来から過去へと流れているのです。

これは直感的に理解できますね。同じように、あらゆる事象が未来からやってきて、現在の自分がそれを体験する。

そして、体験した直後にその事象は過去へと去っていくのです。つまり、流れているのが事象だとすれば、未来から過去へと流れると分かります。

自分がいる場所は常に現在だという事実と照らし合わせると、自分が過去から未来に流れる時間の中を移動するという概念が間違いだと気づくかなと。

私たちは1ミリたりとも時間の中を移動などしてはいないのです。私たちがいる場所である現在とは時間ではないのです。

そこに未来が流れ込んで、過去へと過ぎ去っていくというのが本来の姿なのではないかと思えるようになりましたね。

そう考えてみると、今までよりも一層のこと過去への興味が失せてしまう感じがしますが、皆さんはどうですか?

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時間の進む方向は?

聞いた話しではあるのですが、人は小さい時、2〜4歳くらいまでは過去の話しはあまりしないそうですね。

現在と未来の話しが中心となっているらしいです。ところが、不思議なことに成長するにつれて、逆に過去の話しの方が多くなるのだとか。

確かに、大人になると過去よりも未来が大事と分かっていても、過去の思い出話しが好きという感じになるのです。

ところで、一体いつ頃に、そうした変化がやってくるのかというと、かなり明確に分かっているのだとか。

それは、小学一年生だそうです。つまり、それよりも前は未来と現在、それよりも後になると現在と過去に重きを置くようになるのだそう。

その理由がとても興味深いのです。それは、小学1年になって初めて時計の見方を習うことになるのです。

それが原因らしいです。あの時計を見て時間が分かるようになると、針があたかも過去から現在、現在から未来へ向かって進んでいるように感じるのです。

ところが、日本に古くからある時計は違うらしいです。針の方は固定していて、周囲の文字盤が半時計方向に周るのだと。

そうすると、未来から現在へ、現在から過去へと向かって進んでいるように見えるのです。この違いが面白い。

要するに、昔の日本人は今の時計を読めない幼子と同じように、時間は未来から過去へと進むと感じていたのです。

西洋から入ってきた時計によって、私たち日本人は時間の進む方向を間違えるようになってしまったということですかね。

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どれだけ思索しても真実には届かない

左脳が優位になったおかげで、私たちは高尚な哲学や難しい考えなどを崇拝するようになったのですね。

だからoshoの次の言葉は胸に痛く突き刺さります。

『哲学とは正確には何か?それはまったく何も知らないのに、知っているふりをすることだ。それは思索だ。思索とはつねに、人が無知であるのに、何かをでっちあげようとしているという意味だ。いつであれあなたが考えるとき、それはたんに、あなたが知らないことを示している。』

確かに本当に知っていることというのは、思考とは全く次元の異なるところにあるのは分かる気がします。

思考の中でも思索というのは、いかにも思慮深い感じがしていいのですが、それでも思考を回転させていることには違いありません。

本当に知っていることを考えることってできないのですね。なぜなら、もうそれ自体だからです。

思考というのは周辺情報をああでもない、こうでもないと言って繰り返し増やしていっているだけです。

周辺情報をいくら増やしたところで、それ自体を知ることにはならないということは、以前このブログでも書きました。

ここが一番肝心なところだと思います。24時間思索に耽るのなら、5分の瞑想の方が圧倒的に真実に近づくと思いませんか?

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