子供の頃、親にコントロールされ、親に征服されて奴隷のように育った人は、自分のアイデンティティが充分に確立しないまま大人になるのです。
それは当然のことですね、対等な存在として尊重されて初めて、しっかりとした自己というものができるのですから。
自分の好きなこと、自分の得意なこと、自分の考えや嗜好。そういったものは、不自由で抑圧された状態では醸成され得ないのです。
だからこの社会で生きるためにどうしても必要となるアイデンティティが曖昧なままでは、辛いだけの人生となってしまうのです。
自分は何をしたいのか、周りの誰もが普通にできることがどうして自分には難しく感じるのか、その前に自分は一体誰なのか、自信の欠如も甚だしいのです。
こうした状態から脱出していくには、自分で自分のことを受け止める実践をすることです。他の誰かに期待する代わりに、自分を見守る練習を続けることです。
そうして少しずつアイデンティティを育てていくのです。親にしてもらえなかったことを、大人になった自分が代わりにやってあげるのです。
そうすれば、ひとりでにアイデンティティが人並みに出来上がることになるはずです。けれども、まだその先があるのです。
それは、そのアイデンティティをぶっ壊すことです。直接的に壊さなくても、自分は誰でもないということを見抜くことで、それはやってきます。
生まれてから、一度アイデンティティを作って、それを壊すこと。このプロセスが真の気づきにとっては必要なことなのですね。