瞑想によって自分の中心へと深く深く入っていきなさいと osho が言うとき、そうすることで自分の正体を知ることができると教えているのですね。
逆に言えば、エゴとは中心からもっとも離れた円周上にあるようなもの。けれども、自分に中心があるというのは明らかに方便に過ぎません。
私たちが勝手に、一つのまとまりのあるものには、中心となるところがあると思い込んでいるからこそ、そのような表現を使うのです。
宇宙にも中心はないということをご存知ですか?この宇宙が、140億年くらい前にビッグバンによって爆発して以来、ずっと膨張しつづけていることは知られています。
膨張しているのだから、中心があるはずだと思いがちなのですが、宇宙には中心というものがありません。
人間の感性というものは、どうにもいい加減なものだということがよく分かりますね。けれども、そういうものを持ってしまっているので、それを利用するしかないのです。
それを方便と呼ぶわけです。要するに、役立てばいいのです。それが言葉のすべてなのです。話を戻して、自分の中心をイメージして、どこまでも掘り進めて行くと…。
最後には、そこには何もなかったということに突き当たるのです。そのときに、一瞬にして全体へと広がっていき、そこには中心とか果てという概念も存在しません。
思考では捉えることのできない真実が広がっているということですね。