奮闘せずには生きられない?

奮闘せずに生きるのだ。そうすれば、自然があなたを乗っ取る。あなたの生は臨機応変になる。あなたは結論を持たずに生きる。各瞬間が独自の現実をもたらし、あなたはそれに応える。あなたは、自分の全一な存在から応える–。あなたの身体の全細胞とマインドと魂がそのなかに巻き込まれている。

by osho

↑それは素晴らしいだろうけれど、じゃあなぜ奮闘してしまうのだろうというところを見ることです。奮闘するにはそれなりの理由があってのことだから。

試しに、奮闘せずにいたら自分はどうなってしまうのだろうとイメージしてみることです。そのイメージが爽快なものなら、誰だって奮闘をやめられるはず。

実は奮闘する目的は、幼い頃の自分の惨めさから逃れようとすることなのです。その惨めさがあまりにも悲しく、孤独で、絶望的だからです。

こうして欲しいという親への期待に対して、現実はその真逆だったりすれば、その落差によって惨めになるのです。

あるいは、自分がこうしたいと願ったとしても、それが叶わなければ自分は無力だという思いがやってきて、それがまた惨めにするのです。

いずれにしても惨めな自分でいることは、到底耐えられるものではないので、できるだけ惨めさから離れようとして、「奮闘」することになるというわけです。

ところが、奮闘すればするほど、惨めだという思いを強固なものにしてしまうのです。本当は、惨めなのではなくて、惨めだという思いしかないというのに。

だからこそ、奮闘をせずに生きなさい、と言っているのですね。奮闘せずに、幼い頃の惨めだという思いから一歩も逃げずに、そんな自分を抱きしめてあげること。

そこから癒しが始まるのです。