私たちの本質は、私たちが生まれてきたときのことをイメージすれば明らかなように、天真爛漫、無邪気、そして無防備なのです。
これこそが生の中に溶け込んでいる状態。生と分けるものが何もない時には、この状態のままでいられるのです。
ところが自我の発達とともに「私」ができてくると、「私」のことは自分で守らなければならないと思うようになるのです。
それが防衛の始まりです。防衛の大きさに反比例して、オリジナルの無防備さは影を潜めていってしまいます。
こうなったら、生を享受することなど到底不可能になってしまうのです。生とは恐怖に満ちた場所だと感じてしまうのですから仕方ありません。
癒しとは、自分の本質を思い出すこと、防衛にまみれてしまった生き方に気づいて、それが自我の作戦に過ぎなかったと理解するのです。
そうして少しずつ、生まれてきたときの無防備さ、無邪気さ、天真爛漫さを思い出すのです。
それを明け渡しと呼んだりします。生に自分を明け渡すことができたなら、あとは溢れてくる至福とともにあることになるのでしょうね。