周りのせいにしない

「人は見たいものを見、体験したいことを体験する。」これは、マインド(自我)にとって、最も承服し難い言葉ですね。

特に今とても疲弊していて、どうにも自分自身をコントロールできなくなっている人にとっては、全く意味のない言葉になってしまうでしょうね。

けれども、マインドのたとえほんの一部であっても、このことを受け入れることができれば、物事の見方が変わることで癒しは進みやすくなるのです。

たとえ承服できないとしても、一笑に付すのではなく、敢えてそれを理解しようと努めてみるのです。

すると、隠されていたマインドのカラクリというものが次第に見えてくるようになるはずなのです。

私たちは余裕がなくなると、それを外側のせいにしようとする傾向があるのです。実は自分を責めている人ほど、その裏返しとして人を責めようとしてしまうのです。

たとえば、誰かに裏切られたとしたら、その体験をすることで活力を得るマインドの部分があるということです。

人に不愉快で、理不尽な言動をされたとしたら、その体験によって何らかのご利益があると考える部分があるということです。

もしも怒りをたくさん抱えているなら、その体験によって怒りを感じることができるのです。怒りたくないというマインドとは分離したマインドが引き起こすこと。

このような見方ができるようになれば、自分のマインドがどれほど自分の認識とはずれているのかが分かるようになり、自分を責める必要がなくなるのです。

少しゆとりができた時で構わないので、こうしたことを理解してみようとすることは、決して無駄なことではないはずです。