物語性を見抜く

この宇宙、この世界はあらゆることが連続的に起きつつある現象界だと言えますが、それはただそうであって、そこにはどんな物語もありません。

ところが私たちの自我は、勝手に物語としての生、あるいは人生ばかりを見るのです。

物語というのは、時間の流れの中で起きている何かの事象に意味合いを付与することで作られる架空のものです。

けれどもそんなことは普段すっかり忘れてしまって、自分という個人は自分の人生の主役として生きていると思い込むのです。

なぜなら物語の中にのみ自我が大好きな、意味だとか、価値だとか、目的などが盛り込まれているからです。

そうした実在しない思考の産物なしでは自我はやっていけないので、物語をでっち上げてその中の住人として生きるわけです。

自我という架空の存在を見るためには、まずは自我が作っている物語に気づく必要があるのです。

そのためには、たとえば次のようなことを練習してみるといいかもしれません。今あなたがテレビの前に座っているなら、その画面をじっと見つめるのです。

テレビの電源をオフにして、ただそれを見るうちに、ただ在るものを見ているだけだということに気付くのです。

テレビやその画面というものも消えてしまうはずです。なぜなら、それは思考が作ったものであり実在しないものだからです。

このような練習は、いろいろなことに応用していけるので、是非試してみて下さい。