執着と知識の勘違い

私たち自我は、色々な間違いをしでかすのですが、その中でも代表的で致命的な間違いがあるのですが、それをご紹介します。

それは、執着を愛と間違い、知識を理解と勘違いすることです。一番問題なのは、その間違い、勘違いに気づいていないことです。

多くの人は、自分が感じる執着を愛だと思い込んでいるのです。たとえば、親が子供を溺愛するといった場合は、とんでもない執着なのです。

愛は相手をコントロールしたり、期待したりしないのです。愛は無防備であり、執着はその反対の防衛だと気づくこと。

知識というのは、単なる情報であり、それが自我の財産にもなっているのですが、知識は他人のものでありそこにはどんな気づきもありません。

その反対に、理解というのは自分の血となり肉となる深い気づきのことなのです。1億の知識よりも1つの気づきの方がどれほど大切か。

自分の中にどんな執着があるのか、それをしっかり見ることです。それ以外に執着がなくなることはありません。

同様にして、知識をただのデータだと見抜くことができれば、本当は自分は何も知らなかったのだという大切な気づきがやってくるのですね。

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