常に「ここ」だけがある

自分が今どこにいるのか分からないという人はいないはずですね。今椅子に腰掛けてこのブログを読んでいるとか、お風呂に入っているとか、ベッドで横になっている等々。

つまりこのことは、自分の肉体がどこにいるのかということを知っているということに過ぎません。では、自分の本質はこの肉体ではないと気づいている人にとってはどうでしょう?

肉体ではない自分は一体どこにいるのでしょうか?肉体以外は見ることができないので、結局ここにいるという感覚だけが頼りになるのです。

もちろん誰だって肉体と共にいると思っているのですが、本当は肉体と自分を繋いでいるナニモノもないということも分かっているのです。

肉体ではない何かが、肉体に結び付けられるというのも、どうも納得し難い感じがするからです。

目を閉じて深く瞑想に入っていくと、最後には自分はどこにもいないと気づくか、あるいは全体だというのがやってきます。

肉体がなければ、どこかの空間を局所的に占有することはできなくなってしまうからです。結局、今この瞬間にただここにいるということだけが残るのです。

この場合の「ここ」とは場所を指すのではありません。「ここ」だけが実在だからです。「ここ」以外のどこも存在しないということ。

そう、本当のあなたはどこかへ行くこともできないし、移動することもできません。常に、「ここ」だけがあるのですから。