「所有」が人を苦しめる

「所有」という概念が人を苦しめることになるということに、気づかないでいることが多いのかもしれません。

そもそも、この「所有」というのが幻想であるということに気づいていないのです。だから所有欲という欲望が生まれるのです。

もしも所有がなければ、執着もやってくることはありません。自分が所有していると思い込んでいるものに対してのみ、執着心が起きるからです。

同じようにして、所有がなければ喪失感というものもないのかもしれません。ではなぜ、所有という幻想が必要なのでしょう?

それは、所有することが一過性の安心を与えることができるからです。所有することで、不安や孤独感をごまかすことができるのです。

そしてごまかし続けたいがために、所有していると信じているものへの執着がやってくるわけです。

「所有」とは一種の契約であって、それ以外ではないのです。真に何かを所有することができるとしたら、それは自分自身でしかありません。

もう一つ所有の問題点は、そのターゲットは必ずモノだということ。モノだけが所有できるのです。だから、人を所有することはできません。

恋人に執着しているとしたら、その人をモノ扱いしているということです。だから執着されると気持ち悪いのです。モノに落とし込められているからです。

自分が所有していると思い込んでいるすべてを解放することです。そうすると、自然と存在への尊重がやってくるはずですね。