自分であって自分でない

自分の本質は、身体でもなければ心(マインド)でもない。それ以外の何かであるとすると、残っているのは気づいている状態、つまりは意識ということですね。

そのことを常にどこかに忘れずに保持しながら、生活するようにしているのですが、大抵は心(マインド)と一体になってしまっているようです。

そんな中、今朝もいつものように瞑想をしていたのですが、なぜか自分のことが分からない、自分て誰なんだろう?という疑問のような感覚がやってきたのです。

身体でもマインドでもない、純粋な意識だろうというのともちょっと違うのです。不思議なことに、自我としてみても知らない人のような気がしたのです。

これは面白いことになったと思って、じっくり味わってみたのですが、その感覚はすごく明確というわけではない、そこはかとしたものなので、実感としては薄いのです。

自分は意識だという方に意識を向けると、大きさも形も色も何もない純粋な無を感じるのですが、それとは明らかに違うのです。

自我として生きてきた、たくさんの体験の記憶があるものの、それが自分とは結びついていないと言った感覚とでもいうのか。

これを書いている今この瞬間も、それを感じてみようとすると、うっすらとあるのです。自分であって自分でないような。

これ、若い頃だったら病院に行かなければと思うかもしれませんが、今はすごく楽しめるのでありがたいです。

この新しい感覚が今後どう育っていってくれるのか、なぜかワクワクしてしまいます。こんな他愛のないことでも、結構楽しめますね。また、報告します。

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