自分が存在の一部であるということに気づくことができたなら、防衛はなくなり自我として生きることはできなくなるでしょうね。
自我は、そういう情報があることは知っているし、自分なりに理解することはできるのですが、それを真実として腹落ちさせることはできないのです。
仮にできてしまったとしたら、その瞬間に自我は入れ替わるようにして消えていくからです。あくまでも自我は、存在から分離した自分のみを意識できるのです。
そう考えていくと、自我として生きていることがどれだけ貴重な経験なのかが分かろうというものです。全くもって独特ですよね。
この宇宙に存在しないものの筆頭は、「分離」です。分離という概念は、概念としてはあるのですが、実在ではありません。
私たちの本性である、全知全能の存在からすれば、ありえないような分離の体験をすることができる、極めて特殊な自我という名のアトラクションなのです。
ただし、自分の本性を忘れて遊びにきているので、アトラクションといえどもなかなかしんどいことになっているのも事実です。
死んだらその全てを思い出すはずなので、生きているうちにできるだけこの地球という遊園地での時間を楽しむことですね。