嵐の最中の静けさ

私たちの内面の状態というのは、シンプルに表現すれば次の2種類となるのです。自分の本性を忘れて動揺している状態と、平安な本性に気づいている状態。

そのことを、osho は次のような言葉で表現してくれています。

『平安が私たちの本性だ。
深い不安のただなかでさえ、安らいでいる中心がある。
内側には、あらゆる嵐の最中にも、平安に眠っている人がいる。
この平和で、動揺のない安らかな部分が、私たちの本当の存在だ。
奇跡的なのは
その存在にもかかわらず、
私たちが落ち着きを失っているということだ。』

意識的であることとは、どのような状態であろうとも、安らいでいる中心を忘れずにいるということですね。

外界で何が起ころうと動揺してはいけないと言っているのではないのです。自我として生きている限り、どうしたって動揺はするのですから。

けれども、動揺して落ち着きを失ってしまったとしても、いかなる状態になっても動揺のない安らかな部分があることに気づいていればいいのです。

そしてそれは、練習次第で可能だし、熟達していくほどそれを忘れずにいられるようになるとも言えるのです。

私のバックグラウンドとして絶対的に存在し続けてくれているもの、純粋な意識としての自分の本性、これに気づいているだけでいいのです。

それは透明で大きさも形もなく、厳然としてあり続けています。その気づきが直接的な助けになるわけではないのですが、それを感じているうちに自我は自然と落ち着きを取り戻すことができるのですね。 

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