幸せになるための三つ目の方法は、頭を使わないで生きるということです。この場合の頭というのは左脳という意味です。左脳は、理性や論理的な思考を司る脳です。頭を使わないといっても、普段の生活の中で、例えば仕事をしているときにも頭を使うなと言っているのでは勿論ありません。要は頭を使わないでいようと思ったときには、できるだけ使わないでいられるようになることが重要なのです。そういったメリハリをつけられるかどうかが鍵になります。
頭を使わないで生きるということを別の言葉で表現すると、人生の流れに身を任すということになるのかもしれません。人は大切な選択をしなければならない時ほど、真剣にあれこれと頭で考えてしまうものです。軽薄な選択をして失敗しないように、後で悔いを残さないような最高の選択をしようとします。しかし左脳を働かせれば働かせる程、様々な要素が選択基準として取り込まれてしまいます。世間体だったり、目先の安心感だったり、ネガティブな感情(大抵は怖れ)だったり、競争意識だったり、それらは考えれば考えるだけ増えていきます。
実は人は頭を使うと物事の本質を見逃してしまいやすくなるのです。それは左脳をフル回転させるあまり、もっとも大切な自分自身の感性、感覚などが鈍ってしまうからなのです。例えば、アパートを借りようとするとき、駅からの距離や部屋の広さ、日当たりのよさや賃貸料など、人によってその選択基準やその優先順位などが変わってきます。しかし、どんなに物理的な選択基準を満たしていようと、最も大切なことは、自分がその部屋に初めて入ったときに感じる何かなのです。それを絶対に無視してはならないのです。それは左脳で判別がつくような理屈ではなく、心や身体全体で感じる大切な信号なのです。その信号を逃さないように生きていくことが、結局自分の人生を心地よい幸せなものにするのです。
しかしそういった信号は、多くの場合頭を使わないような状態のときにやってくる(感じる)ものなのです。その理由は後程説明することにします。ではその信号とは一体何なのでしょうか?それは一般的に直感とか気づきとか言われているものなのです。これは頑張って努力して、頭で考えて手に入るものではありません。逆に頑張ることを止めて、心静かにしているときほど、感じやすくなります。だからこそ、人は座禅を組んだり、瞑想したりするのです。座禅や瞑想によって、頭の回転が緩んできて、それによって普段は感じないようなことを感覚で捉えられたり、気づいたりできるのです。
その仕組みを図解して説明します。人の意識というのは、下図のようになっていると考えています。
一番上にある表面意識というのは、自分が自分であると自覚できる意識のことで、主に左脳が受け持つ部分です。理性や論理的な思考を司る部分です。頭を使うとは、この部分を使って物事を論理的に考えることを意味します。一方その下にある潜在意識というのは、意識できない意識の領域であり、主に右脳が受け持つ部分です。感情や感性、感覚などを司る部分です。潜在意識の中に、生まれてからすぐに親の信念が刷り込まれていきます。これは本人が望むと望まざるとに係わらず、自動的に作られていきます。そして、その後に、親の信念を元に自分独自の信念を作っていきます。
子どもは親に育てられていく間に、その二つの信念を元として様々な感情を溜め込んでいきます。そしてその感情がまた新たな信念を作ったり、もともとある信念をより強固なものにして、それが更に感情を溜めていくことに繋がるのです。こうして、信念と感情が強く結びついて行き、それが大人になった自分の行動パターン、思考パターンを作っているのです。頭を使って物事を考えれば考えるほど、その思考パターンから逃れられなくなります。自分の困った部分をいくら治そうと努力しても、なかなか変われないのはこのためです。
そのパターンが自分の幸せにとって都合のいいものであればいいのですが、都合の悪いものの場合には、幸せになることは難しくなります。ここで、潜在意識よりも下にある意識を見てください。潜在意識と表面意識は生まれたあと作られていくので、変えることができますが、潜在意識より下の部分は持って生まれてくるので、変わることはありません。そのひとつは原始の意識という部分です。これは、生物としての人間の本能や、本人の生まれ持った気質などを司る部分です。そして、更にその下に本質の意識という部分があります。
本質の意識の中には、あらゆる情報が入っていると考えています。知識というよりは叡智といったほうが適したものです。この情報が一番てっぺんにある表面意識まで上がってきたときに、それは気づきというように呼ばれるものになるのです。本質の意識は、いつでも本人にその情報を受け取って欲しいと思っているのですが、頭を使ってグルグル考えていると、潜在意識の中の信念と感情がフル活動するため、それが邪魔となって気づきの情報が上がってくることを妨害してしまうのです。仮に上がってきてもそんな情報は信念にとっては都合が悪かったり、怖れの感情が邪魔したりする(本人にとって信用できないという感覚になるかもしれません)ために切捨てられてしまったりもするのです。
頭を使わないで生きるとは、頭の回転をなるべく止めて、信念と感情を活動させないようにすることで、自分の幸せにとって本質的に必要な情報、気づきを得て、それを信頼して行動し、生きていくということです。沢山の本を読まなくても、人生の先輩に多くを聞こうとしなくても、あなたが幸せになるために必要となる知恵は、すべてあなたの意識の奥にあるということです。さあ、今日から、一日に5分でもいいですから、深く静かな呼吸をして、頭を休めて、心静かに瞑想するようにしてみましょう。そして、心の奥からの声に耳を傾けてみてください。それが幸せへの一番の近道になるのですから。