日頃のセッションの中で、多くのクライアントさんに対して、自分を優先させるように生き方を変えてみて下さいとお話することがあります。勿論すべての人に対してではありませんが、この話題はセラピーを受けに来られる方々にとっては特別大切な事のように私自身が感じるからこそ、何度となくセッションの会話中に出てくるのだと思います。自分を優先させると聞いたクライアントさんの反応は、大抵自己中心的な、ワガママな人になってしまうと連想されるようです。しかしそう短絡的に考えて欲しくないのです。本当の意味は全く違うところにあるのです。
例をあげて説明してみます。自分が幼稚園の園児だった頃のことですが、お昼のお弁当の時間を告げる先生の合図を聞くと、園庭で遊んでいた子どもたち全員が一斉に駆け出して、手洗い場に我先にと集まります。同時に手を洗えるのはせいぜい3~4人くらいでしたので、早い者勝ちで、遅れた者は並んで待たなければなりません。手を洗い終えた者から順番に建物の中に入って、食事の準備をするのですが、自分はいつも並んでいる者がいなくなるまで、手洗い場のわきで待ってから最後に手を洗うような子どもでした。
このような子どもが多少珍しかったせいか、先生が母親にそのことを伝えたらしく、自分で自覚していた以上に母親が家族の中でその話をしていた印象が強く残っています。その時の光景をイメージすると、先を争うことをせずに人を優先する穏やかな男の子を想像されるでしょうか?確かに、先生の合図を聞いて猛ダッシュする活発な男の子のイメージはありませんが、人を優先させて自分を後回しにするといった、奥ゆかしさのためにそうしているのかどうかは実はわからないのです。
自分で自覚している限りを白状すると、まず人と足の速さを競っても勝てそうにないので競争したくなかったということがあるような気がします。そして、競争に負けたときに並んで待つのは尚嫌いだったのでしょう。待ち行列の中で自分の番が来るのをじっと待つというのは今だに好きではありません。結局園児の自分は、自分の好みや主義を優先させた結果、競争を避けて並ばずに済むように最後に手を洗うことを選んだということなのだと思います。これも立派に自分を優先させる生き方であるとは言えないでしょうか。
上の例でも分かる通り、自分を優先させるということは、必ずしも人を蹴落として自分さえよければいいというワガママな生き方ではないのです。むしろ自分を尊重するということに主眼を置く生き方のことなのかもしれません。クライアントさんの中には、セラピーを続けていくうちに職場を辞める人もいれば離婚される人もいらっしゃいます。それは決してネガティブなことではなく、自分の人生を切り開いていくために自分を優先させることができた結果なのではないかと思うのです。
職場を辞める決心がとうとう着きましたと嬉しそうに話をしてくれるクライアントさんが今までに何人もいらっしゃいました。そんな時、今は辞めるタイミングを見計らっていますとか、退職を申し出る時の適当な言葉がまだ見つからないなどの理由から、なかなか実際に事を進めることができないという場合がありました。辞めるタイミングというのは、きっと仕事のきりのいい所だったり、後任の人が見つかってからなどのことを気にしているのだと思いますが、この場合には自分が辞めたいというタイミングを優先させればいいのです。会社の都合を優先させることが自分の人生に責任を持つことではなく、自分の気持ちを優先させることが大切なのだとはっきり自覚することです。
退職を申し出るときの言葉が見つからなくて、ぐずぐずと先延ばしにしてしまうというのも、結局はお世話になった上司や職場の人たちの気持ちを優先させてしまうからこそ、言い出しづらくなってしまうのです。自分が辞める決意をしたということをしっかりと優先させることが大切なのだと気づけば、簡単に退職するということを告げることができるはずです。退職したいという気持ちを聞いてもらうということではなく、退職の決意をしたということを単に通達するということなのです。このように、自分の気持ちを優先させるということは、自分の人生の道を自分の力で切り開いていく原動力となる大切な生き方なのです。
確かに自分を優先させるということの意味や大切さは分かったが、それは人の気持ちを踏みにじることに繋がることなのではないかと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?家業を継いで欲しいと願う親の気持ちを無視して、勝手放題やりたいことをやっていくことがそんなに大切なことなのかと、疑問に感じられるかもしれません。しかし、それはやはり大切なことなのです。義理人情に反することかもしれませんが、それが自分の人生に責任を持つということなのです。それが親のことを「かわいそうに」と思う気持ちに負けない生き方なのです。自分を優先させるとはそういうことです。
親の立場に立てば、願わくば自分の思うように子どもに家業を継がせたいと考えるのは自由なのですが、それを強制したり、人情に訴えて子どもの気持ちを変えさせようとするのは、それこそ人の気持ちを踏みにじるやり方なのです。本当に勇気を持って自分を優先させる生き方ができる人というのは、親になったときには子どもの気持ちを尊重してあげることができるのです。なぜなら、自分もそうやって自分の人生を切り開いて生きてきた経験を持っているし、子どもの気持ちを優先してあげることが、子どもの人生のためには一番いいということが分かるからです。
自分を優先できる人というのは、自分の意志や気持ちが明確な人でもあります。なぜなら、はっきりとした自分自身の考えを持っていなければ、優先させようにも自信が持てず結局ずるずると人の考えを優先させてしまうことになってしまうからです。自分優先の生き方ができているのかどうか、今までの自分の生き方をよくチェックしてみて下さい。そして、人を優先させることが美徳であると思っていたり、自信のなさから人の言葉を優先させてしまっていたりしていたとしたら、是非とも自分を優先させる生き方に勇気を持って変えていくことです。それが、結局自分の人生にしっかりと責任を持つことになり、悔いのない人生を送ることに繋がっていくのです。