投影の続きその2

投影をざっくりといくつかのパターンに分けることができます。まず、一つ目は、周りにいる人そのもの及びその人との人間関係として投影する場合です。そして、二つ目は、周りに起きている事象そのものとして投影する場合です。そして、三つ目は、その他もろもろの投影の場合です。

一つ目のパターンはとても分かりやすいです。都合の悪い自分の部分を抑圧し、それをそのまま周りの人のいやな部分として投影するものです。例えば、自分が人を見下すという行為をしていて、そんな自分を酷く自己嫌悪するような場合、それを深く抑圧したうえで、周りに人を見下してばかりいるような人を出現させるのです。

自分は見下しなどという下劣な行為など全くしない、無関係だと思っているのですから、その人のことを自分とは違う最低のやつだと思うことでしょうね。自分はそんなひどいやつとは違う、とにかくいけ好かないやつがいたもんだと思うのです。

しかし、自分の内面に少しも人のことを見下す部分がないのであれば、見下す人をみても無反応でいられるはずなのです。いやだなと反応すること自体、自分にもそういった面があるという証拠だと気づく必要があるということです。

その上で、見下す人を見ているときに一体なんでそれが鼻に付くのかということを見つめてみることです。そうすると、自分がひた隠しにしてきたダメな自分の姿というものが浮かび上がってきます。

見下すというのは、自分を周りの人たちより高いところに置いて、安心しようとする作戦なのです。そしてそんな作戦が必要だということは、そのままの自分は弱くて、情けなくて、存在する価値もないなどと錯覚してしまっているからです。

そこを見たくない、思い出したくもない、という想いから心の奥に隠蔽してしまい、そういったどうしようもない自分を守るために見下しをしているということを本当は知っているために、見下しをしている人をみると、そのことを奥で思い出させられていやだなと感じてしまうということです。

そして最後は、なぜ自分のことを弱くて、情けなくて、存在する価値もないなどという錯覚を抱いてしまったのかというところを見にいくのです。ここから先は一人でできなければ、催眠療法などを利用するといいかもしれません。

癒しを進めて行って、そういった心の奥の自分に対する理不尽な錯覚を手放していくことができれば、周りにいる見下すタイプの人のことが気にならなくなってくるし、そういった人自体が少なくなってきたりすることになります。

投影の二つ目のパターンについてはまた書きます。