長い間生きてきて、自分に一番欠けていると思うところは、「他人のことを自分のことのように感じる心」ではないかと思っています。
あまりに正直に書き過ぎているので、少々恥ずかしいのですが、でもある意味そうだったからこそ世間で何が起きても、あまり心が揺れることもなく済んだのだとも言えます。
「人は人、自分は自分」というこの言葉を何度クライアントさんにお伝えしてきたことか。それは、以前コラムにも書いたように、他人との境界が分からなくなっている人が沢山いたからです。
個として、外の世界や他の人と自分自身を明確に分離することができていない、つまり依存の状態で暮らしている人に対しての言葉だったのです。
「人は人、自分は自分」がしっかりと理解できるようになって初めて、人は自立へと向かっていくことができるようになるのです。
自立できると、周りの人や出来事などにあまり振り回されたり翻弄されたりしなくなってきますので、自分独自の快適さを手に入れることもできるようになります。
しかしながら、単なる自立の状態のままでは、上記したように「他人のことを自分のことのように感じる心」を持っていることが難しいのです。
なぜなら、自分の快適さを求めるために、外の世界を自分の都合のいいように遮断することが必要となってしまうからです。
残念ながら、人間の本質というのは自分だけが快適でいることができても、心を満たすということができないようにできているのです。
快適さと心の充実感とは同じものでは決してありません。満たされるためには、どうしても個としての自分よりも全体への思いが強くなる必要があるのです。
従って、ヒリヒリしたり、苦しくなったりすることが増えるのですが、「他人のことを自分のことのように感じる」ことが大切なことだと分かります。
自分の心がこの世界全体に広がったら、いつも泣いたり怒ったり傷ついたりしていなければならなくなるかもしれません。
それこそ身体がいくつあっても足りなく感じるかもしれません。それでも、誰かのために、公のために生きる時間が長ければそれだけ心は満たされることになるのです。