肉体があるうちに、本当の自己に気づく

私たちは誰もが、いつか必ずやってくる死を恐れています。それは、肉体の死によって肉体が滅んでしまうのみならず、肉体と自己を同一視してきた思考も存続できなくなるからです。

つまり、肉体とともに体験したすべての記憶によって形作られて来た、人物としての私がいなくなってしまうということですね。

けれども、それをもう少し正確に表現すれば、人物としての私がここにいるという思考を保っていられなくなるということです。実は、単にそれだけのことなのです。

それなら、その思考が消滅した後には一体何が残るのでしょうか?それはとても簡単なことです。初めに肉体を自己と同一視した、その自己が在るのみです。

その自己は、それまで同一化していた肉体を失ってしまうために、それ自体の丸裸な状態にただ戻ることになるのです。

その自己とは、肉体とは何の関係もありません。それなら、この肉体があるうちにも、その自己という実在に自ら気づけばいいということになります。

ところが皮肉なことに、一体全体その自己とは何なのだろうかと考えることができるのは、人物としての私でしかありません。

しかし真の自己は、その人物としての私の影に隠されてしまっているために、見い出すことが難しいという、イタチゴッコのような状態になってしまっているというわけです。

何とも悩ましいというのか、特別な賢者のような人でなければ、その難題を解決することはできないように思えますね。

けれども、それ自体が人物としての私の思考でしかないのです。真理は、思考で測り知ることはできません。

言葉で表現するには無理があるのですが、つまり「このすべて」が本当の自己なのです。何者でもない、あらゆるすべてであり、その中に時空というこの宇宙もあるのです。

それなら、死の恐怖というのも大したものではないということになりますね。実際、死の恐怖ほどおかしなものはありません。

なぜなら、これほど恐れている死であるはずが、その死がやってきた暁には、それを恐れる誰もそこにはいないのですから。ただ真の自己が在り続けるだけなのです。

このことが分かったら、誰だってもっともっと気楽に生きていくことができるようになるはずです。誰もが、本当の本当の自己を信頼できるようになるといいですね。