守護霊さんにも限界がある

夜のセッションを終えて帰宅するときは、もちろんもう辺りは真っ暗です。比較的マイナーな道路を選んで帰るので、道はより狭くて暗いのです。

そんな道路を走っていると、何度も繰り返し自転車が無灯火で走っているところに遭遇したのです。これ非常に危険。

自転車を運転する全ての人に伝えたいのは、自転車のライトはあなたが前方を照らして走りやすくするためにあるのではないということ。

自転車のライトの目的は、他者に対してあなたの存在を知らしめるためなのです。だから無灯火で走るのは自殺行為だと理解すること。

実は、大袈裟ではなくて帰り道に何度もドキッとする瞬間を体験したのです。無灯火の自転車は、すぐ近くにやってきてやっとその存在を知ることになるからです。

こちらがもう少しスピードを出していたら、確実に接触事故を起こしていたなと。運が悪ければもっと悲惨なことになっていたかも。

一度でもクルマのハンドルを握ったことがある人なら、この話しは当たり前のことだと理解できるはずなのです。

私からすると、無灯火で自転車に乗って無事目的地に着いたとしたら、それはきっと霊的な存在に守られていたのだろうと感じるのです。

聴いた話ですが、守ってくれる霊の側からすると、「必ず守れる、というわけではない」らしいので、自分の身は自分で守ってくださいね。

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あるべきものがあるべきところにあって欲しい

私には、普段3本の傘があるのです。通常使っている少し大きめの傘、そして、クルマの中に常備しておいてある傘、それともう一つ事務所に置いてある傘。

この3本の傘が、それぞれ所定のところに置いてあるのが気持ちいいのです。つまり、家とクルマと事務所ですね。

例えば、事務所から帰る時に、突然雨が降り出してしまったら、当然事務所の置き傘をさして帰ることになるのです。

それでもしも翌日ものすごくいい天気だったとしても、事務所の置き傘を持って出かけることになるのです。

そうしないと、事務所にあるべき傘がいつまでも戻らないことになってしまうからです。これは、クルマに置いてある傘にしても同じなのです。

傘に限らず、所定の場所に置いてあるものがそこに置いてないと、なんとなくソワソワしてしまう傾向があるのです。

だから、レンタルビデオとか図書館から借りた本とか、借りている間は少しソワソワがあって、できれば早く返却したいのです。

クルマを車検に出している間の2〜3日間も、ほんの少しかもしれませんが早く定位置に戻って来て欲しいと感じているのです。

きっと自分の中にある不安感をそこに投影している結果だろうとは思うのですが、本当のところはどうだか分かりません。

ただ、所有という概念が減ってシェアの時代になっていく時に、ちょっと不利になるかもなと密かに考えていますが、皆さんはどうですか?

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使命感の塊のようなおじさん発見

事務所から借りている駐車場までの道のりを歩いている時、新築の家の外構工事などで狭い道を通行止めにしていたのです。

そういう工事があると、大抵は交通整理などの人が立っていて誘導してくれたりしますね。その時もいたのです。

道といってもごくごく狭い道で、クルマも通れないような場所なのですが、その道への入り口にそのおじさんは立っていたのです。

歳のころは、75歳から80歳くらいかなと。ヘルメットを被って、誰も入ってこないようなところで異常なほどに周囲に目を配っているのです。

あれ、何だか変な人なのかなと思ってみたり、けれどもとにかく周囲を満遍なくずっと注視している姿があったのです。誰もいないのに。

その後、違う道を通って駐車場の方に行く途中、狭い道の入り口に立っていたおじさんが今度は出口の方に向かって走ってくるのが見えたのです。

何をするのかと思ったら、ただ侵入禁止の立て看板を撤去するだけなのです。なぜ、あんなに走ってこなければいけないのか?

思い出したら、今ちょっと胸が熱くなってきました。多分、物凄い使命感があの人を突き動かしているのだろうなと。

ただ一人、誰に見られる訳でもないのに、すごい迫力で職務を全うしようとする姿に感動しました。日本はまだ捨てたもんじゃないですね。

もしかしたら私のコンフォートゾーンが少し変化したのかも。これまでスコトーマされていた部分に光が当たるようになったのかも。そうなら嬉しいのですが。 

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