先入観を脇へ置く

例えば道を歩いているとして、その時歩いている主体と歩かれている道(環境)を二元の対としてみることができます。

非二元においては、その両者には実体がありません。その時に残るのは何かというと、「歩いているという感じ」なのです。

けれども、一般的にはそうは思えないですよね。歩いている感じだけが残るなんてことは決してないと思うのです。

それはなぜかというと、そういった感じとか、足が疲れたなあとか、遅刻しそうで焦ってるとか、気分がよくない、腹へった等々。

こういったあらゆる感覚というのは、その歩いている主体の中で起きていると信じているからなんですね。

だから主体が消えてしまえば、歩いているという感じやその他諸々の感じも一緒になって消えてしまうはずと思えるわけですね。

さあそれは本当にそうなっているかということです。あらゆる概念や固定観念、先入観などを全て脇に置いてみるのです。

そうして純粋な興味とか好奇心だけになって、歩いている感じや足が疲れた感じ、遅刻しそうで焦ってる感じ、気分が良くない感じ、腹減った感じなどが「どこ」で起きているかを見てみるのです。

本当に主体の内側で起きてる証拠を見つけることができるでしょうか?するときっと、それらの感じがどこで起きているか不明となるのです。

それだけがただあるのが分かります。