自我はなんでも所有する

所有というものは単なる概念に過ぎないということは、以前にもお話ししたことがあったと思います。

人との関わりの中での所有というのは、単なる契約、約束事です。これは自分の時計だとどれほど主張したところで、ほかの誰もそれを認めてくれなければなんの意味もありません。

また、個人としても自分の身体、自分の知覚、自分の気分、自分の思考、自分の経験などのように多くのものを所有していると思い込んでいます。

自我が確固とした個人として生きていると感じるのは、このようにたくさんのものを所有することで、自分を膨れ上がらせてきたからです。

ところが、この所有というのはあくまでも概念であって、真実ではないのですが、これがなかなか受け入れられないのですね。

たとえば、いつもすぐそばに見えている身体がありますが(もちろん、この身体というのも概念なのですが)、この身体は間違いなく自分のものだと思っているのです。

けれども、自分の所有物だという証拠はあるでしょうか?先入観なしにじっくりみていると、自分の身体だというのが、勝手な妄想だと気づくかもしれません。

そうやってあらゆる所有という妄想を外していくと、いったいどうなるのかを一度ゆっくり見てみるのも面白いかもしれないですね。

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