「真の自己」なんてない

生まれてからずっと自分とは一人の人間なのだと思い、それを信じ込んで生きてきたのです。当たり前ですけど。

ところが、いつの間にか自分を個人だと思い込んでいる自分を「自我」と呼ぶようになり、そこから自我を見つめるようになったのです。

そうしたら自我こそが、苦しみの作り手だと分かったのですね。その頃から、自分の中には個人としての自分だけでなく、もっと無限に広がった感覚があると気づいたのです。

それのことを「意識」として見るようになって、自分の本質は自我などではなく、意識なのだということに目覚めたのです。これこそが、真の自己だと。

自我は思考であり、その思考が鎮まった時には、ずっとあり続けている意識だけがクローズアップされるようになったのです。

そして、どんな時であれ意識の方に注意を向ければ、全体性と呼ぶようになったあの気持ちの良い感覚があることにも気づくようになりました。

自我から外れて、意識へと軸足をシフトして行くことで、自ずと苦しみや不安から解放されるのだろうなと、そう思って瞑想などをライフワークとしてきたのです。

ところがです。この現実の本質には、実体というものがないということに気づいてしまってからは、これまでの流れが急に止まってしまいました。

というのも、個人という自我から意識という全体性へと変遷したとしても、それはあくまでも「自己」ありきだと分かったからです。

自己という実体はないという気づきは、もう決定的であってそこには個人も全体性も何もない、あるのは「これ」だけ。

「真の自己」なんてどこにも見つけることができないとなったのです。なるほど、そう来たかあ…。

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