「知ってる」と思うことを疑ってみる

幼い子供が生まれて初めて月を見た時に、思わず手を伸ばして触れようとしている姿って何となく想像できますよね。

月が途方もなく遠くにあるということを「知ってる」私たちは、その子供の姿をなんとも微笑ましく見るのです。

この「知ってる」ということをちょっと深掘りしてみたいと思います。私たちは、知識として知っていることを、ほとんどの場合真実だと思い込んでいます。

そうしなければ、なかなか面倒な毎日になってしまうからですね。たとえば、地球が丸いって「知ってる」けど、本当かどうかは分からないとか。

目を閉じて周りが見えなくなっても、部屋の中にいることを「知ってる」けど、それが本当かどうかは分からないとか。

そんなバカなことを考える人はほとんど皆無でしょうけれど、実はこの辺りに知ってると思っていることや先入観に騙されないというヒントがあるのです。

そうやって、あらゆる知ってると思い込んでいることや、信じていること、概念や観念、イメージなどをそれと見抜いて過ごしてみるのです。

そうすると、まったく違う世界が広がっていることに気づくことになるかもしれません。空間や距離が単なる概念であることにも気づくのです。

モノの実体が概念であることも、時間も概念に過ぎなかったと気づくことになるのです。とても不思議な感じになりますけどね。

Let’s repeat 「実体」とは?

「実体」という言葉(概念)があります。この言葉の意味について、明解に説明することってできるでしょうか?

ネットで意味を調べると、「すべての存在の基本に、これを支えるものとして考えられる基本存在のこと。」とあります。哲学用語らしいですが。

基本存在とか言われても、ちょっと分かりづらいですね。もう少しわかりやすく説明しようとするとどうなるか。

実体とは、「現実に、あるいは現実の中でモノが存在するさま」これなら分かりやすいと思います。でも逆に今度は、現実という言葉を説明する必要が出てきました。

現実とは、「モノが実体として存在している世界」てなりますが、これで本当に説明になっているでしょうか?

つまり、Aさんの説明をするときに、AさんはBさんの友達ですって言っておいて、じゃあBさんは?と聞くと、BさんはAさんの友達です、というのと同じ。

ということになって、まったく説明にはなっていないわけで、結局やっぱり冒頭のネットの哲学的な説明になってしまうんですね。

物事を空想したり想像したりできるのは、どうも人間だけらしいですね。つまり簡単に言えばイメージの世界です。

このイメージの世界では、モノの実体はないと言えます。その一方で、現実の世界では、モノは実体を伴うということ。

ということになると、私たちは現実の世界においては、モノは必ず実体を伴って存在するものだと思い込んでいるのです。

これが思い込みだったとやっと気づきましたか?目の前のりんごに実体があると言い張るなら、それをどうやって証明できるかを考えてみることです。

すぐにできないことが判明してしまいます。このように見てくると、「実体」という概念はどこまでいっても概念止まりだってことになります。

モノには実体があるということこそが、イメージだったというわけですね。

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不思議な一日

今日はホントに不思議な目に繰り返し遭遇するという変な日でした。二度あることは三度あるどころか、もっとありました。

いつもと同じ時間に家を出たのに、スポーツクラブに10分以上も遅刻してしまったのです。滅多にないことですね。

皮切りは、普段ガラガラな道路で不当な渋滞に巻き込まれてしまったこと。でもこれは5年に一度くらいはあってもいいかなと。

その後、工事のトラックが狭い道路に停めてあって、交通整理をするお姉さんがいるのですが、まったく用を成さず。

うまく説明はできませんが、行く手を阻まれたこちら側の車線が、ちょっと危険な状態になってしまうという結構まずい事態。

仕方ないので、車の中からそのお姉さんに指示を出してなんとかそこを切り抜けて、ようやく目的地のゲートのところまで来たのです。

すると、そのゲートのところでなにやら切り返し?をしようとしている車がいて。クラクションを鳴らすと、バックでそのゲートを通過しようとしている。えっ?

バックでゲートをくぐってなにするつもりなんだろうと思ってみていると、今度はそのまま前進して反対方向に向かって進んでいってしまったのです。

こちらとしてはなにが行われていたのか、まったく理解不能で茫然自失。そして今度は自宅へ戻った時のこと。

車庫のゲートを開いていると、子犬を三匹連れた散歩の女性がやってきたのですが、そのうちの一匹が歩きながら3つほどフンを落としていったのです。

自宅の真ん前で。これから車を車庫入れしようとしているときに。こんなことって人生で初めての経験。

チョット〜と慌てて声をかけて、無事処理をしてもらったのですが、今度は母親の老人ホームに面会に行く時間になって。

2階の住人に行くよ〜と声をかけても返事がないので、見にいったらどこへ行くの?と。完全に忘れていたようで。

これも今までになかったことです。変な日。実はここに書ききれない小さくて嫌な感じの出来事が他にもいくつかあったのです。

過ぎてしまえば、どうっていうこともないので、早々に忘れてしまおうと思っているところです。

事実とそうでないものを見分ける

実は私たちは、これは間違いなく事実だと思っているものであっても、かなりの割合で勝手に作っているものが混ざっているのです。

作っているというのは、もちろん自覚なくやってしまっているということです。例えば、目の前に美味しそうなリンゴがある、は事実です。

けれども、このリンゴには実体があるというのは作り物、思い込みです。これが分かると、この世界の実態が分かってきます。

この部屋にはテレビがあるというのは事実ですが、扉を隔てた隣の部屋にもテレビがあるというのは作り物です。

もしも隣の部屋にテレビがあるのが見えているなら事実ですが、見えない隣の部屋にテレビがあるというのは思い込みです。

でも本当のことを言うと、目の前にリンゴがあるとか、テレビがあるというのも実は事実ではありません。

事実は、目の前にリンゴがあるというふうに見える、あるいはそんな感じがするということだけなのです。

私とテレビの間に数メートルの空間があるというのも作り物です。事実は、私とテレビの間に空間があるように見えるということ。

分かってきましたか?事実と作り物の違いが明確になってくると、これまでの認識の仕方が間違いだったと気づくようになります。

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