身体からやってくる感覚について見てみる

我々は、ご存じ五感というものを頼りに生きています。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ですね。多くの人にとって、とりわけ視覚は大きな要素になっています。

ところで、本当に知覚というのは上記の五つだけでしょうか?じつは私にとっては、視覚と同じくらい大きな別の感覚があると感じています。

それが体感覚です。つまり、身体からやってくる様々な感覚のこと。皮膚からやってくるもの、筋肉から、内臓から、筋から等々。

目を閉じていることが多いということもあるのかもしれませんが、あるいは内的世界で生きてきたという思いもあるので、より身体の内側に意識が向きやすいせいもあるかもしれません。

いずれにしても、年がら年中この体感覚の嵐の中で生きているという自覚を持っているのです。それなのに、いわゆる五感のことばかりが言われていることに違和感を覚えていたわけですね。

で前置きが長くなってしまったのですが、この体感覚はこの身体からやってくるという想定がされていますね。

けれども、それって本当なのか?というのを見つめてみたところ、想定するということ自体が事実ではないということだろうなと。

じゃあどこからやってくるの?となるのですが、ここでも「どこ」を常に考えてしまうのは単なる癖なのだと。

結局のところ、この体感覚というのがただ在る感じがしているということだなんだろうなと、そういう結論になるのですね。

自我はなんでも所有する

所有というものは単なる概念に過ぎないということは、以前にもお話ししたことがあったと思います。

人との関わりの中での所有というのは、単なる契約、約束事です。これは自分の時計だとどれほど主張したところで、ほかの誰もそれを認めてくれなければなんの意味もありません。

また、個人としても自分の身体、自分の知覚、自分の気分、自分の思考、自分の経験などのように多くのものを所有していると思い込んでいます。

自我が確固とした個人として生きていると感じるのは、このようにたくさんのものを所有することで、自分を膨れ上がらせてきたからです。

ところが、この所有というのはあくまでも概念であって、真実ではないのですが、これがなかなか受け入れられないのですね。

たとえば、いつもすぐそばに見えている身体がありますが(もちろん、この身体というのも概念なのですが)、この身体は間違いなく自分のものだと思っているのです。

けれども、自分の所有物だという証拠はあるでしょうか?先入観なしにじっくりみていると、自分の身体だというのが、勝手な妄想だと気づくかもしれません。

そうやってあらゆる所有という妄想を外していくと、いったいどうなるのかを一度ゆっくり見てみるのも面白いかもしれないですね。

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ミラーニューロンの大切さ

AIに人間のような心を持たせようとして、研究をしている人がいるのですが、彼の動画が面白いので時々観るのです。

その中で、ミラーニューロンというものが脳の中にあるということを知りました。ミラーですから鏡という意味です。

鏡のように作用するニューロンということですが、具体的には目の前にいる人が悲しそうに感じられたら、自分も悲しくなると言ったことです。

人間が誰しも持っている共感する能力とか、相手の立場に立って考えて上げられるというのは、このミラーニューロンの働きによるものかもしれません。

A I にもそういった人間っぽさを実装しようとしたら、ミラーニューロンのような働きをする機能を組み込む必要があるということです。

私の勝手な想像でしかないのですが、赤ちゃんが発達過程でどのようにして自我を生み出すことができるのかも、このミラーニューロンのおかげなのかもと思っています。

つまり、自我を持った両親などに囲まれて生活して行くうちに、ミラーニューロンを用いて親のマネをするのだろうなと。

真似ているうちに、親の自我のようなものが少しずつ芽生えて来るのではないかと。あるいは言語の習得なども同じなのかもしれません。

親の言葉をモノマネしているうちに、自然と会話ができるようになるわけですから。そう考えると、モノマネ芸人の人たちというのは、一般人よりもミラーニューロンをうまく活用できるのかもしれませんね。

ミラーニューロンの発達がよくないと、サイコパスや自閉症のような状態になりやすいということも言えるかもしれません。

一方で、ミラーニューロンの反応が大きすぎると、人の気持ちに大きく影響されてしまい、人を優先させる生き方をするようになってしまう可能性もあります。

人との関わりにおいては、このミラーニューロンの働きをちょうど程よい状態に保っておく必要があるということですね。

どれが現実でどれがイメージか?

一般的には、私たちは空想と現実の違いは明確に分かっていると思い込んでいます。考えていることが空想で、ありありと目の前に在ることが現実だと。

それは確かにそうなのですが、実はこれは現実であって間違いないと信じていることの中にも、かなりの程度で空想が入り込んでいることには気づかないでいるのです。

それがどのくらい分かりづらいものなのか、いくつか例を用いて見ていきたいと思いますが、その前に条件があるのです。

それは、自分の知識を使わない、先入観を使わない、赤ちゃんのような目で純粋に見るという態度が必要なのです。

その上で、空想というのは、思考、妄想、イメージ、概念、観念、信念、思い込み、そういった物全てが当てはまります。

例えば、部屋の中にいて一人ソファに腰掛けているとします。向こう側にある部屋の壁をぼんやり見ていて、その壁までの距離は数メートルあるなと感じているとします。

この状況の中で、現実だと言えるのはどこまででしょうか?え、全部事実じゃないの?と思うかもしれませんが、そうでもないのです。

実際のところ、「〜感じている」という部分だけが事実であって、それ以外は全て事実ではないのです。

ソファに腰掛けていて(そう感じている)、向こう側にある壁を見ている(そう感じている)。壁までの距離は数メートルある(そう感じている)。

上の文章のカッコの部分だけが事実であって、それ以外はイメージなんですね。距離というのは概念なんです。

壁と私の間に空間があるという時の空間も概念。赤ちゃんのように見ることができたとしたら、こんな感じになるのでしょうね。

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非二元はどんな世界?

よく使われる表現として、「まるで〜のように見える」というのがありますね。たとえば、「2人はまるで兄弟のように見える」とか。

こういう場合には、必ず「でも本当は他人だけど」などの意味が隠れています。あるいは、「遠くから見たら、まるで豆粒のように見えた」とか。

本当の大きさは◯◯だけどね、というのが続いたりするわけです。遠くにいる人は小さく見えるけど、近づいてくれば本来の大きさに見える、など。

本当はその人の大きさは変化しないんだけどね、というのが当然のこととして共有している事実なわけです。

けれども、非二元的には「まるで〜のように見える」で終わるんです。その裏には、どんな意味も含まれないのです。

「本当は◯◯」、というのがありません。どう見えているかがすべてだからです。モノという実体がないので、本当は…のような続きがないのです。

しかも、「まるで〜のように見える」と感じている主体もありません。なぜなら、主体というモノの実体もないからです。

誰かがそのように感じているのではなく、ただそうした感じがあるのです。非常にシンプルな世界ですね。

自分は生まれたこともない

半年くらい前に、「モノはない」という内容の動画をアップしたのですが、その頃はモノというのは左脳が作った幻想だということをお話ししました。

だから逆に言えば、右脳の世界ではモノがなくて全体性だけが残るというような内容だったと記憶しています。

あの頃は、自我はいないんだということを証明するための一つの方法として、分離したモノという存在はないということを言いたかったんですね。

けれども、モノはない、自我はないと言いながらも、その一方では自我はヌクヌクとしていたのだろうなと思うのです。

その証拠に、今となってはモノはない、つまりあらゆるモノには実体がないということに気づいてしまうと、そこから「自分は生まれたこともない」んだと。

そうなるわけで、この言葉は結構私の自我にはショックなようなのです。笑えますよね、今更そんなことを?と思うのです。

きっとどんな人であっても、あらゆるモノには実体がないと聞いても、そのことを自分の身に置き換えては考えないのです。

それだけ自分というのは特別な存在だと思っているということです。自我が幻想なだけじゃなくて、物質的な身体でさえその実体はないんだと。

自分という存在はいないんだと思うよりも、自分は生まれたこともないんだと思うほうが不思議にインパクトがありますね。

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股関節痛を和らげる靴

みなさんは、靴の脱ぎ履きを面倒に思ったことはありませんか?私は無類の面倒臭がり屋だからなのか、できるだけ容易にしたいのです。

それで、これまでしっかり靴紐で結ぶ正当な靴をほとんど履いたことがなかったのです。靴紐があっても飾りのような物ばかり。

だからなのか、すっと履けてすっと脱げる。これ天国だなと思って、そういう安易な靴を常用してきたのです。

そのせいなのか、やはり歩くときにブカブカした感じは否めません。要するに、しっかり歩きにくいということ。

その結果かどうかはわかりませんが、膝とか股関節、そして腰の痛みというものが出てくるようになったのです。

これはいかんということで、膝痛、股関節痛などにいいとされるまともな靴を買ったのですが、これが全く違った履き心地。

足が軽くなったような、そして後ろ側の足が自然に地面を蹴る感じがして、スムーズに前へ進める感じがするのです。

靴一つでこんなに感触が変化するものなのですね。ただし、やっぱり履く時にはどうしても靴べらが必須のようで。

ずっと前に購入した事務所の靴べらの出番が、ようやくやってきたようです。皆さんも、膝や股関節の痛みには、注意してくださいね、という日常的な物語のお話でした。

手抜きサムネをなんとかしたい

昨夜はNetflixで映画を観たのですが、観る前にどれにしようかなって少し時間をかけてめぼしいものを探しますよね。

しばらく探し回って、コレでもない、アレでもないとやって、ようやくコレにしようかなとなって、見始めるわけです。

場合によっては、あらすじを読む場合もありますね。そして、しばらく観ているうちに、あれ?これ一度観たヤツじゃね?となることもあります。

要するに、人間てやはり好みがあって、サムネを見て気になるものっていうのは変わらないということなんですね。

相当数あるうちから、同じものを選んでしまうのですから。結局どれにしようかと迷っているときに、決定する要因のほとんどはサムネに対する印象な訳です。

じゃあサムネがどれほど観てもらう側からしたら重要なのかってことです。これは、YouTube動画の場合も同じです。

だとしたら、本当に見てもらいたいのであれば、内容はもちろんのこと、サムネをしっかり作り込まないのは問題です。

となると、私の動画はとにかく手間暇かけずにアップするというのをモットーにしているのですが、あんな手抜きのサムネは他にないですね。

このままいくのか、それとも何かツールを購入して、もっと興味を引くようなサムネを作れるようにするのか…。う〜ん、悩ましい。

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家族制度の是非

私自身が結婚をしていてアレなんですが、そもそも結婚制度にあまりいいイメージを持っていないというか、正直あまり賛成ではないんですね。

というのも、結婚をすることで子供が生まれていわゆる「家族」というものが出来上がるのですが、その家族という固まりが閉ざした世界になってしまう可能性があるからです。

家族同士が仲良しであれば問題はないのですが、家族と言ったってそこには人間同士の様々な関係性があるわけで。

そうなると、喧嘩が絶えなかったり、いざこざやピリピリした居心地の悪さや、そのほかあらゆる問題が起きるのです。

そして最大の問題は、それが閉ざされた空間で起きるということ。外部には分からないようにすることができるのです。

だから他人からみたら、いい家族じゃないの、と感じられたとしても内実はどうだか怪しいものなのです。

そこでいつも犠牲となるのが子供たち。問題を感じていたとしても、多くの場合はそれを外の世界に伝えることができずに悶々と耐えることになるのです。

もちろん自分の力で解決することもできないので、なるべく早く家を出ようということになったりするのです。

家を出るまでの間に傷ついてしまったこころは、大人になったとしてもそのままでは癒されずに残ってしまいます。

必ず癒すべき時期がいずれはやってきますので、その時には、決意してしっかり癒しをしてあげる必要があるということですね。

非二元の質問、大歓迎です!

数ヶ月に一度?くらいのペースでセッションにいらして下さるクライアントさんが、先日予約をされたのです。

いつものように、日々の不安やその他の心の話が出るのかなと思っていると、突然のように非二元の話題になったのです。

そのクライアントさんが、私の動画チャンネルを観てくださっているとは知らなかったので、びっくりすると同時にやっぱりなと。

というのも、そのクライアントさんは昔からoshoの本を読んでいたり、「これ!」って言うのは一体なんだろう?的なことを話されていたからです。

だから一瞬でピンと来たのです。そしてセッションの時間中、びっちりと非二元の話に終始したのです。

私としては、癒しとはまったく違う内容の話だけでセッションを終えるというのは、ほとんど記憶がないのです。

それと非二元というのは、あまりお話しするネタがないので、質問を持ってきていただけると非常にありがたいのです。

質問に答えている間に、自分でも新たな気づきがやってきたりして本当に感謝なのです。動画のコメント欄にも数名の方々が質問をしてくださっていたり。

もしも動画をご覧になって、質問があるようでしたら是非コメント欄に書き込んでいただけたら、今後動画の中でその質問に答えていこうかなと思っています。

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