魂の修行に興味なし

人生は「学びの場」だということを聞くことがあります。そのためには、1人で勝手をしているだけではダメだと。

様々な人との交流を通して、多くのことに気づいていく必要があるのだと。それは確かにその通りかもしれません。

自分の経験でも、一緒にいて楽な人といるよりも、ちょっと面倒だなと感じる人とか、苦手だなと思うような人といる方が学べる感じがします。

そうやって人格形成というのか、人格を磨いていくのが正しい道なんだとか。ただ、自我であることには変わりはないわけで。

自我をどれほどピカピカにしたところで、所詮は自我なのです。ある程度の癒しは必要だとは思うのですが、自我を磨くことには興味がないですね。

もっと単刀直入に言えば、人格というものに興味がないのです。だからこそ、自我から離れていくことにしか興味がなかった訳です。

気が合わない人とは一緒にいようとは思わない。そこに学びがなくてもいいと思うのです。学んだところで、修行したところでどうにもならないので。

ついでに言えば、魂の段階があるとかいうまことしやかな話にも、一ミリの興味もありません。人がそういうことを気にして生きていることには無関心。

どうぞご自由にという感じで、それを否定することもなく。もっと言えば、人生があるとするなら、人生は全自動だと感じますね。