「信じる/信じない」を脇に置いてみる

非二元的な目で周囲を見回していると、自分が何を信じていたのか、そして何を信じていなかったのかを洗い出せるのです。

信じることと信じないことは同じです。なぜなら、神なんていないと信じることと、神がいるなんて信じないというのは同じだからです。

で、どちらであろうと自分が信じたり信じなかったりしていることは、非二元の世界には入っていくには邪魔になるのです。

つまり、様々なことをたくさん信じていると、非二元が難解に感じてしまうのではないかと思うのです。

逆にいえば、信じる信じないから遠ざかる、あるいはそれをやめてしまうことができたなら、非二元は馴染み深い感じがしてくるかもしれません。

これは非二元に限ったことではないはずです。信じるか信じないかという世界観は、考え方を狭める働きがあると思うのです。

これは知識とも関連しています。「知っている」と信じているのですから。やっぱり、何も知らない無邪気な赤ちゃんのようになれたら簡単かもしれないですね。

赤ちゃんは何かを信じてるなんてないだろうし、何かを信じていないということもないはずですからね。