物語として人生を達観する

自分は比較的気分屋な方だなと若い頃からずっと思ってきました。どこまで表に出せるかどうかは別として。

そしてその傾向は未だに続いているのですが、それでもほんの少しずつではあっても改善しつつあるような気もします。

以前だったら、この状態ではもっと気分を害していたはずだけど、それほど気にしなくなったなということが増えてきたかなと。

そして、それに比例して外へ出すのも少なくなってきた感じがします。これは、単に年齢を重ねてきたからなのか、それとも別の要因があるのか。

それは定かではありませんが、もしかしたら人生の物語性を忘れずにいられるようになってきたからかもしれないと。

そう、物語というのはあくまでも作り物という意味です。だから、リアルなものではないということ。

瞬間瞬間ごとにそのことを忘れずにいられたら理想的ですが、そうもいかないのが人間です。それでも、事柄のすぐ後に気づけるようになればいいなと。

非二元のようにすべてが幻想というところまで行かずとも、物語として人生を達観することができれば、深い深刻さや落ち込みに至る前に正気に戻ることもできるのだろうなと思います。