葬儀の習慣の不思議

母親の棺の中に一緒に入れてあげるものを持って、葬儀屋さんの遺体安置施設に行って、死化粧を施されてる母親の顔を見たのですが、ちょっと鼻が高くなっていたような。

人間て、死ぬとやはり何か違う存在になってしまうのですね。身体は単なる抜け殻となって、それこそ当然ですが生気がない感じ。

私の方針は、父親の葬儀の時もそうだったのですが、通夜や告別式をせずに、直接火葬場へ搬送してもらって、火葬のみを行う火葬葬というものです。

家族だけで執り行うものです。家族の要望もあるので、一応僧侶による読経だけはお願いしているのですが。

普段は、自分の家系がどの宗教だったかも忘れているクセに、こういう時だけ宗派に拘ってるのが不思議な習慣だなと。

当然私の葬式も火葬葬にして、読経もしないようにと家族には伝えてあります。そして不思議なことがもう一つ。

普段は全く会うこともないような親戚が、本人の葬儀の時だけ会いにくる。これには一体どんな意味があるのかなと。

そんな人を責めているわけではないですが、せっかくであれば生きている間に会いにくればいいのにと思ってしまいますね。