非二元(ノンデュアリティ)では「5W1H(Who, What, When, Where, Why, How)」の質問に答えられないというのがあります。
それは、非二元の視点が「分離した個人」や「時間的・空間的な現実」を前提にしていないからです。
以下に詳しく解説します。
■ 非二元の基本的な立場
非二元では、「私」と「世界」や「他者」など、あらゆるものの分離は幻想とされます。すべては一つの「現れ(現象)」であり、それに名前や意味づけをして「分けている」のは思考であると。つまり、
• 時間(過去・未来)
• 空間(ここ・あそこ)
• 自我(私・あなた)
これらはすべて、概念的な構築物でしかないということです。
■ なぜ5W1Hに答えられないのか?
1. Who(誰が)
→ 非二元には「個人の実在」がないため、「誰が〜した?」という問い自体が成立しません。
例:「誰が悟ったのか?」→「悟った“誰か”などいない」
2. What(何を)
→ 「何か」という区別が前提にあるため。非二元ではあらゆる現れが“ただの現れ”でしかなく、それを「何」と区別するのは思考による命名。
例:「これは何?」→「これは“これ”としてただあるだけ」
3. When(いつ)
→ 時間は思考によって作られた概念であり、非二元では“今”という現れしかない。過去や未来は思考の中の出来事。
例:「いつ起きたのか?」→「起きた“時”などない」
4. Where(どこで)
→ 空間も同様に概念。「ここ」と「あそこ」の区別は、思考によって成り立っている。
例:「どこで起きているのか?」→「“どこ”という分離がない」
5. Why(なぜ)
→ 理由・原因の問いは、時間と因果関係があることが前提。でも非二元では、現れは「理由なしに」ただ現れているとされる。
例:「なぜこれが起きているのか?」→「なぜ、という問いが不要」
6. How(どうやって)
→ 方法やプロセスも、「ある地点から別の地点へ行く」という時間的・空間的前提がある。でも非二元では、「どこかへ行く」ということがそもそも幻想。
例:「どうすれば悟れる?」→「“悟る”べき誰かも、プロセスも存在しない」
■ まとめ
非二元は、5W1Hの前提そのものを否定しているのです。それゆえ、どんな質問にも「明確な答え」は返ってこないように感じることが多いです。
それは「答えを濁している」のではなく、問いそのものが幻想に基づいているからなんですね。
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