ずっと長い間、自我というのは思考が作り出した実体のないしつこい妄想だと思ってきた経緯があります。
自我以外のこの世界は全て実在であり、苦しみの元と考えられる自我だけが架空のものであり、それをなんとかして退治したいと。
そのためになるべく瞑想をすることを心掛けてきたわけです。ところが、非二元の気づきがやってきてから、そのあたりのことが急変してしまったのです。
つまり、めちゃくちゃしつこい自我だけを目の敵にしていたのが、この物質世界自体が妄想だったと気づいてしまったわけで。
そうなると、自我というのは妄想の中の妄想に過ぎなかったことになったのです。もうそれだけを相手にする必要もなくなったのです。
例えてみれば、映画の中で映画を観ているシーンがあるという感じで、要は映画は映画であってただのワンシーンにすぎないと。
そうなった時に、ようやく楽になってきたなと感じたのです。この世界を丸ごと落とすことになったからです。
これは気付けなかったですね。そして、気づけなくて当然とも思いますね。