どこにも物語はない

人生は物語のようなものだということは、ずっと言い続けてきたことです。それは本物のようでいて、実際にはそうではないのだと。

けれども、自我にとってはその物語の中でしか生きることができないのです。つまり、自我も物語の一部だと思えばいいのかもしれません。

非二元的に表現するなら、どんなことが起こったとしても、起こったことについての物語は、起こったことそのものではないということ。

どんな物語よりも前に、どんな概念よりも前に今ただ起こることが起こっているだけ。それが、非二元と二元の世界との違いです。

そしてもっと言えば、起こっているように見えることは、すべて起こっているように見えるだけなんですね。

実際には何も起こっていないということです。ということは、何も起こっていないことをネタにして、そこに概念をフル動員する。

そこに時系列の感覚を持ってきて、それで因果律を導入することで立派な物語が創造されるということです。

このように見れば、普段私たちがどれほど作り物の世界で生きているのかがわかるというものですね。