「個人としての自分」の存在を当たり前のように信じているのが「自我」なのですが、2,600年前に生きていたブッダはその自我の存在を否定していました。
それなのに、何千年経とうが、私たちは決して自我が架空のものだということに目を向けようとはしないのです。
自分が身体そのものではないということに気づいている人は、大勢いるのだろうなということは分かります。
けれども、それなら自分の姿ってどうなってるの?という問いに対して、真摯に向き合おうとする人はごく少数しかいません。
なぜなら、そこをちょっとつついただけで、自分の正体がバレそうになるからです。だから、誰もがそこから逃げ回っているのです。
目を閉じて、自分が今どこにいるのか分かる人がいるでしょうか?いるはずがありません。では目を開けたら?
目を開けると自分の身体が見えるので、ここに自分がいると錯覚してしまうのです。自分は身体ではないと知っているのに。
観念して自分はどこにいるのか?そして、自分はどんな形、どんな大きさ、自分には境界があるのか?を検証してみてください。
答えは自明のはずですね。
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