小学生の時に、大嫌いな写生の授業があって、みんながてんでんバラバラに学校のあちこちに散らばって、思い思いの絵を描き始めたのです。
自分は数人の仲間と一緒に、大きな枯れたような木をど真ん中に持ってくる位置で画角を決めて、見たままの風景を描いたのです。
後日、図工の先生が全員の絵を一枚一枚見ながら批評をするのですが、自分の絵に対してこの大木を中心に持ってきた意味が分からないと。
つまり、絵の上手い下手ではなくて、風景の切り取り方を否定してきたわけです。そんなこと言われたって、こっちゃあ素人なんだし。
こんな昔の事をしっかり覚えているということは、その否定のされ方に自分のセンスを完全ダメ出しされた感じがして悔しかったのでしょうね。
そして今思うに、私たちは色々な角度で目の前の景色を見ることができると思い込んでいるのですが、そうではないなと。
今この瞬間に見えているものがすべてなんだと。ところが、私たちは経験上、見る位置や角度を変えれば、見えるものの見え方は変わると信じています。
たとえば、テレビを観ている時には、テレビの画面つまり前面が見えているのですが、後ろに回ればテレビの背面が見えると信じています。
これが違うという事です。なぜならテレビという物体には実体がないので、それは想定しているだけだという事です。
この辺のことが分かってくると、より空間やモノの実体というのはないということが明確になってくるはずですね。