小学生でも分かる非二元

昨日のブログでも書いたように、非二元のお話というのはどのように感じたとしても、決して何かの教えのようなものではないということ。

だから、言ってみれば小学生でも分かるようなことしか言ってないのです。知的な解釈など全く使わないのです。

ちょっと本気で、小学生を相手に話をするというつもりで、言葉を選びながら試してみたいなと思ったりしています。

きっと、概念とか観念、信念、この辺りの言葉を使わずにいれば、きっと伝えることができるのだろうと。

代わりに、強い思い込みが邪魔をして、今あるものを今ある通りに見ることを難しくしていると言えばいいのかなと。

ただ単に見るということがどれほど難しいことになってしまっているのか、ここに気づくことができればいいわけです。

種々の思い込みを使わないようにして、感覚的な知覚だけにとどめていられるようにするということに尽きますね。

例えば、ものすごく素晴らしい絶景を前にすると、人は言葉を失うというような状態になったりしますね。

あれです。言葉を失うというのは、思考が動かなくなったということ。どんな思い込みも飛び越えて、ただ見たものに対する衝撃の中にいるということ。

あれを意図的に起こすことができれば、もう非二元はすぐそこにありますね。