快も不快もそのままにしておく

身体の痒みが増してきて、なんとかならないかなあという思いが強くなってきたのですが、これこそが生への抵抗なんだろうなと。

痒いところに勝手に手がいって思わず掻いてしまうというのは、動物が持っている本能的な反応に過ぎないと思うのです。

それは問題ないのですが、人間だけが持っている自我による抵抗、痒みと戦ってそれを亡き者にしようとする防衛が問題なのです。

この痒みは個人的なもので、自分だけが個人攻撃されているという思い、被害者の意識が苦悩を生み出しているのではないかと。

非二元の方に意識を向ければ、あるのはこの直接の経験という単純さであって、コレしかないという気づきがやってくるのです。

個人という存在などないはずなのに、自我はなんとか踏ん張って生との戦いを継続しようとしているのでしょうね。

気づいたのは、この痒みが個人的なものではなかったと。不快だからそれを取り払おうとする努力を止めること。

その状態に一瞬でもなると、不思議なことに快を求める強さも小さくなっていくということです。どちらも消えていった時、そこには永遠の平安があることに気づくことになるのでしょうね。

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